リーガルサービスの経済学(1)市場はもう死んでいる

拙稿「新時代の弁護士マーケティング論」は、予想以上の反響があり正直驚きました。今の弁護士業界の抱える深刻な問題点を共有して頂けた方も多かったと思います。

ところで、拙稿においては、弁護士の料金や専門性の問題について、いささか品のない表現とは思いつつ、次のような表現をしました。

お客さんが弁護士に頼むのなんて一生に一度か二度かしかないんだから、値段が高いかどうかなんてどうせ分かんないよね。
本当は専門でも強くも何でもないんだけど、そこは内緒にしておいてもどうせお客さんには分からないから大丈夫。

こんなことを書いていたところ、これはミクロ経済学でいう「情報の非対称性」の問題じゃないかと思ったのでした。

そこで、本稿においては、弁護士業務について経済学的な観点からの分析を行い、最終的には常日頃弁護士業界のエゴと批判されることの多い様々な規制について、それがなぜ必要となるのか理論的な根拠を与えることを目標として検討を行います(目標が壮大すぎて到達し得ないかもしれません)。

情報の非対称性とは

情報の非対称性とは、売り手と買い手のうち一方だけが十分な情報を持ち、他方が持っていないような情報の偏在状況のことをいいます。

さて、弁護士の提供するリーガルサービスの市場は、情報の非対称性が存在している典型的なものです。買い手は一部の例外(企業法務などのヘビーユーザー等)を除いては素人ですから、そのサービスが良いか悪いか、あるいは高いか安いかということは普通は分かりません。逆に、売り手である弁護士は、一部の例外(無知を自覚しない弁護士等)を別として、自分の能力や提供できるサービスの質を把握することが可能です。

例えば

次のような市場を考えてみます。

ある一般的なリーガルサービスについて、劣ったサービスは20万円、優れたサービスは100万円の本来的な価値があるものとする。ここに劣ったサービスを提供する悪い弁護士Aと、優れたサービスを提供する良い弁護士Bがいるが、各弁護士のサービスの質が良いか悪いかは依頼の時点では分からない。

劣ったリーガルサービスなど無価値あるいは害悪であるという考え方もあるかもしれませんが、依頼者が完全な情報を持っている場合、価格を重視する人は弁護士Aを、サービスを重視する人は弁護士Bを選択するでしょう。

しかし、サービスの質が分からなければ、優れたサービスを受けられるかどうかは確率的な問題になります。

強いていうならギャンブルみたいなもので、高い報酬を払えば優れたサービスを受けられそうだと想像する人(リスク愛好的)が世の中に多ければ市場で決まる報酬の価格は100万に近づくでしょうし、万が一悪いサービスでも無駄金出さないようにしようという人(リスク回避的)が世の中に多ければ20万円に近づくということになるでしょう。

いずれにしても、依頼者に弁護士の質が分からなければ、報酬の価格はそれらの中間のどこかになります。

放っておくとどうなるか

問題なのは、弁護士Aが20万円の価値しかない劣ったサービスを提供しているにもかかわらず、市場ではそれを遙かに超える値段が付いてしまう事象が発生する場合です。

例えば、誰が良い弁護士か分からない前提下では、悪い弁護士Aがたまたま60万円の報酬をもらえるという事象が発生します。このようなことがあると、良い弁護士Bが優れたサービスを提供して100万円の価値のある仕事をしているにもかかわらず、市場ではそれより少ない60万円の報酬しか得られなくなるので、「価値に見合わない報酬しかもらえないならサービスの提供をやめよう。」となってしまうのです(これは、あくまで市場に任せればという話であって、弁護士の倫理観は問題としません。)。

逆に、たまたま60万円でサービスを売れた悪い弁護士Aは、「(本当は20万円の価値しかないのに)60万円で売れるならバンバン売りに出そう!」となるので、劣ったサービスが余計に市場を席巻することになります。 そうなると、依頼者が劣ったサービスに当たる確率は高まるので、むしろ「弁護士に頼んでも無駄な金を払うだけだから依頼するのはやめようかしら?」という場面が増えて、市場におけるリーガルサービスの需要、すなわち依頼が減ることになります。

一方で、良い弁護士は需要の縮小に伴いどんどん市場から退場していくことになるので、市場では優れたサービスがますます提供されなくなります。

こうしたことが続いての最終局面、すなわち均衡状態ではどのようになるかといえば、悪い弁護士による劣ったサービスだけが生き残り,市場では劣ったサービスが本来の価値である20万円で取引される、という状況に陥ります。

リーガルサービスと逆選択

つまり、リーガルサービスの市場においては、依頼者に弁護士の仕事の質と価値が分からない以上、放っておけば良い弁護士は駆逐され、悪い弁護士だけが生き残ることになります。なお、良い弁護士が優れたサービスを提供しなくなるというのは、決してサービスを提供するつもりがないというわけではなく、自分のサービスに見合った適切な価格が市場で付かなくなるからです。

このような問題のことを逆選択といいますが、情報の非対称性が存在する市場において逆選択が発生することは広く知られています。

実際どうなのか

現実の弁護士業界では、近時、法曹志望者の減少や、現に登録している弁護士が廃業するとか、あるいはインハウスに転職するという事象を見るようになりました。あるいは、従前協力していた法テラスとの契約を打ち切るという弁護士も見られます。

これらはいずれも、自分が提供する自信のあるサービスに市場では適切な価格が付かなくなった(あるいはその見込みである)ため、サービスの供給が失われているという事象としての側面も多分にあるのではないでしょうか。言い換えれば、良心的なサービスの提供主体は市場から逃げ出しているということです。

このように、弁護士の提供するリーガルサービスの市場は、情報の非対称性が存在する故に、放っておけば市場すら失われるという深刻な問題が生じる構造に元々なっています。これは市場の失敗どころの話ではない訳です。ここを無視して自由競争を行うと大変な弊害が生じるということは、もっと一般的に理解されるべきだと考えます。

次稿では、逆選択を回避する一般的な手段について検討し、かつ、リーガルサービスの市場では逆選択を回避する手段が十分に機能していないことを論じたいと思います。

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