リーガルサービスの経済学(5)弁護士に今日を生きる資格はない

はじめに

前稿(リーガルサービスの経済学(4)広告規制の可能性)では、広告規制について実効性を伴う必要があると共に、特に誤認による弊害が大きいと思われる専門の表示の規制に関し認証制度の導入も一つの方法であること、他方で研修や試験による品質向上の必要性がある、ということを述べました。

本稿では、広告に並んで大きな弊害が生ずることのある、弁護士報酬に関する問題点について検討したいと思います。

弁護士に資格などいらぬ!!

ところで、弁護士資格のあるなしを問わず、誰に委任事務を依頼するかは依頼者の自由であるという考え方があります。高くて良いサービスを選ぶか、悪くて安いサービスを頼むかは依頼者の自由に委ねるべきだというのです。

しかし、この考え方にはどうしても与することが出来ません。

これまで指摘したとおり、リーガルサービスの市場(但し全部ではないと思います)は、良いサービスが高く、悪いサービスが安いという価格のメカニズムが動いていないため、価格ではサービスの品質が判断できないということもあります。それより何より、実際的には、無資格者が要求する報酬は弁護士の要求する報酬よりも遙かに高額なことがあり、弁護士をやっているとそのような状況をしばしば目撃するということに尽きます。

資格による規制に意味を見いださない人々に対しては、弁護士でも司法書士でも行政書士でも何でもない無資格者が何百万もの手数料を奪取しながらひどい処理をしているのを見たことあるか、と申し上げたいところです。

品位をとりもどせ

さて、弁護士の要求する報酬が比較的に低い水準に止まるとするならば、報酬規制がなされていたり、弁護士倫理による拘束があるからだと考えられます。

ところが、弁護士業界も報酬規制が撤廃され、報酬が低下した分野もある一方1、不思議なことに、特定分野の事件においては、サービスの品質が同等でも従前よりも高額な報酬を定めて、それでも集客に成功している弁護士も存在するように見えます。

すなわち、弁護士業界の内部でも、報酬規制がないと高い報酬を設定し、適正とは言い難い利潤を得る者が現れるという問題はあります。

何をもって適正と考えるかは大きな問題ですが、事件の性質や労力、資格取得や経営維持に掛かるコスト、品位の維持、あるいは業務の非営利性、といった諸要素を考慮しての「こんなにもらってはどうなのだろうか」というコンセンサスは、弁護士業界の内部にもある程度存在しているのではないでしょうか。

しかし、弁護士報酬の一般的な規制の可能性に関しては、またしても打ち破らなければならない法的問題が存在します。

激流を制するは公取

公正取引委員会は、資格者団体の報酬規制に関し次のような見解を示しています(全文はこちら)

資格者団体が会員の収受する報酬について制限することについても、通常の事業者団体と同様に、独占禁止法上問題となる。

もっとも、公取が取り締まるべき報酬規制というのは競争を制限する性質の規制であって、報酬の上限を画するような場合には、価格やサービスを競い合うことを常に制約する訳ではないでしょうから、独占禁止法上の問題になるのかという疑問はあります。

見えるはずだあの上限が!!

既にご承知の方も多いと思いますが、債務整理事件についてはあまりに弊害がひどかったことから、平成23年に債務整理事件処理の規律を定める規程が制定され、報酬の上限規制がなされました。

この規程については、弁護士にとっては上限がいくらかということが専らの関心だとは思われるのですが、規程を制定した際、日弁連は独占禁止法との関係についてかなり慎重な検討を行っています。

第2に、本規程の報酬規制は、不適正に高額の弁護士報酬を規制する報酬上限規制であり、上限以下での価格競争を制限するものではなく、価格の面で依頼者たる多重債務者の利益に適う規制であることである。他方、これらの事件においては、事件処理の仕方において弁護士間で大きな違いは少なく、ほかの弁護士よりも高額の報酬を得る代わりに高いサービスを提供するという方向での競争はあまり想定できず、この面でも報酬の上限を規制することが依頼者の利益を害することはないと考えられる。

弁護士の業務及びその一環としての報酬請求・受領についても、公正かつ自由な競争によって行われるべきであることはもちろんであるが、前述の任意整理事件の状況および本規程の報酬上限規制の目的・効果を前提とすれば、さらに、日弁連は自治権を認められた団体として、公益的見地から会員の活動を適正な範囲で規制する国法上の権限と責務を負っていることからすれば、弁護士業務の中の特殊な一部分について、消費者である依頼者の利益を図るために一定の合理的な制約を課すことは、独禁法の目的に照らして許容されると考えられる。

(日本弁護士連合会『解説 債務整理事件処理の規律を定める規程』49頁より)

そのような次第で、債務整理事件については報酬の上限が規制されました。これは反した場合には懲戒の対象となる規範ですから、弁護士は従わざるを得ません。

ここで注目すべきことは、この規制は消費者である依頼者の利益を図るためということ、つまりこれは消費者問題であるということを明確に指摘している点にあります。弁護士が消費者問題を引き起こすようになっては、世も末だとしか言い様がありません。

どんな小さな禍根も断つ

債務整理ほどではありませんが2、例えば、交通事故や残業代請求はこだわらなければ類型的な処理はある程度できるでしょうし、かつ経済的利益の獲得が確実なことも割合的に多い事案です3

そうすると、そもそも成果報酬制を理由に比較的高額な報酬を設定するということ自体がどうか(ほとんど一定の成果は収めるから)、という問題があります。

刑事事件も同様です。

もっとも、刑事事件には様々な類型があります。否認事件でどこまで労力を費やすかは分からないのが普通でしょう。しかし、自白事件で起訴猶予、あるいは裁判になっても一回結審といったケースまで、目が飛び出るような報酬の設定となっている場合も見かけます。法テラスの考え方のようですが、事件の類型を絞って報酬の上限を規制する方法はあり得るのではないでしょうか。

なお、保釈保証金の金額に応じて保釈の成功報酬を設定することも行われているようですが、これは保釈保証金が高くなるほど報酬が増えてモラルハザードを引き起こすので絶対に禁止すべきです。

以上の類型の事件はいずれも債務整理以外の分野ですが、残念ながら債務整理に引き続いてまたしてもそういうことになってしまっています。

これらの分野では、一部の弁護士が要求している高額報酬は目に余るように見えることもあり、弁護士への信頼を維持する観点からは弁護士団体としての報酬の上限規制に踏み切ることを検討すべきです。

問題となる公取との関係も、債務整理事件に関する規制の際とほぼ同様の理由で説明可能な状況となっているのではないかと思います。

自ら望んで選んだ道、ためらいもない!

近時、日弁連は業務拡大への取組を盛んに行っています。

しかし、その具体的な方策としては、弁護士会が中心となっての法律相談の間口を拡げようとか、中小企業、福祉分野、国際分野、行政分野などに活動領域を拡げようというものであり、総花的なものになっています。その方向性は、隣接業種のパイを奪おうとしたり、無理に弁護士を押し込もうとするばかりに、いささか場当たり的になっていないか、というように感じられることがあります。

その前にやるべき事があるのではないでしょうか。

それは、弁護士の本来的な活動の核心を守ることに尽きます。外に向かっては非弁活動及び提携を排除し、内に向かっては活動の品質の向上を図ることが、多くの依頼者の信頼を獲得することになり、その結果として市場の拡大を助けることを認識すべきです。

更に踏み込んで、不祥事対策としての預り金の第三者預託の義務化(預託コスト次第では積極的に導入すべきであり、使いやすい仕組みの開発が待たれると思います)などの取組を、弁護士団体が主導して進めることも考えられるでしょう。いずれも、実効的な取組を今すぐにでも行うべき課題です。

日弁連をはじめとする弁護士団体が、司法改革の影響に翻弄されることなく、堂々と活動の方向性を明示することを強く希望したいと思います。

救世主は現れるか

時は201X年。世界は法の光に包まれた。
法科大学院は枯れ、日弁連は裂け、あらゆる弁護士が死滅したかに見えた 。
だが、法匪は死に絶えてはいなかった!

司法制度改革は法曹の増員をもたらし、世界を法が照らしたようにも見えるという人もいます。

しかし、実際にもたらされたのは闇でした。

改革の目玉である法科大学院は撤退が相次ぎ、法曹養成制度は機能不全です。

総本山の日弁連も、会員の増加に伴い弁護士業務への価値観が激しく分裂しています。まともな弁護士は滅び行く一方です。

弁護士が法匪なんていう言葉を使うものではありませんが、敢えてそう言わざるを得ない状況が目の前に迫っています。

近い未来が、このような荒んだ世界にはならないよう祈りたいものです。

もちろん祈るばかりではなく、私も一人の弁護士として、あるいは弁護士団体を構成する一人として、絶えず品質改善のための行動をしなければいけませんね。一縷の希望を持って、そのような活動に取り組んでいこうと思います。


  1. これは、自由競争の成果というよりは法テラスのダンピングが原因のように思われる。 

  2. 実際の債務整理事件の処理には本当は様々な困難や落とし穴もあり,最近は処理が難しい債務整理案件が増えているように思われる。 

  3. このように言い切るのに語弊があるのは、債務整理事件の場合と全く同様である。 

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