「プロセスとしての法曹養成」と私

私が司法試験に合格した2001年のころはまだロースクールは設立されていませんから、私の世代(司法修習56期)は、ロースクールの設立の際に問題にされた「点」で選抜された世代になります。

そこで、充実の法曹養成プロセスを経ていない我々は、司法制度改革審議会の言い回しを借りると、

「法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力」と「かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性」を備えていない欠陥法曹

だということになります。もちろん、大いに皮肉を込めての自嘲です。

 

さて、私が司法修習に入ったのは、2002年のことでした。

私は、6回生まで休学(留年)して受験勉強に専念し、司法試験をパスしました。浪人しながら仕事せずに試験勉強を続けるのは、当時の司法試験合格者としては多数派かと思いますし、私自身は苦学をしたというのではありません。

 

しかし、司法研修所に行ってみれば、それまでの経歴は、人それぞれ様々だと気付かされたのでした。

会社勤めに限界を感じて勉強をはじめた人、研究者になるほど賢い人、苦節何年と勉強を続けて合格した人、そうでない人、家族の居る人、居ない人、無事に執行猶予が明けた人、等々、入所者は人それぞれでありましたし、それぞれに人生のプロセスを経てきてここにいるのだと思ったものでした。

 

私は、司法試験に合格するまでは、基礎学力が大事だと考えて試験範囲の勉強だけに専念していました。ですから、実務がどうなっているだとか、社会がどうなっているとかいうことについては、敢えて関心を持とうとしていません。

例えば、京都地裁は近くでしたが傍聴に行ったこともありませんし、実務家の話を聞いて刺激を受けた感じでもありません。

 

とはいえ、それもまた私にとってはプロセスです。

研修所に入ってからもプロセスは続くと思っていました。司法修習の間は、試験勉強とは違って見るもの聞くもの全てが新鮮で、そこで学んだことは脳裏に焼き付いています。

特に、弁護修習で見て聞いて学んだことはかなり明確に覚えており、今でも仕事をする際の指針になっていることも少なくありません。そして実務に入ってからの一つ一つの事件の積み重ねも貴重なプロセスですし、独立すれば経営に悩むのもまた一つのプロセスでしょう。

 

こうして、様々なプロセスがあって法律家は成長していきます。

10年で法曹としては一人前だという建前のようですが、実感としては、10年経っても勉強しなければならないことは尽きません。

結局、法曹養成制度の如何にかかわらず、法曹人生は気の遠くなるようなプロセスの連続です。

 

そのような次第で、2?3年の間立派な学校に行くだけでプロセスが充実するってことはないんじゃないか、というのが私の言いたいことです。

実務家の育成が目標であれば、実務でてきぱき仕事ができるよう、基本的な法知識を間違えずに身につけてもらうことが一番大事だと思うのですが、ロースクールのカリキュラムがそのようになっているのか疑問無しとはしません。

そして、資質や人間性の問題は、予備校ではなくロースクールに行ったから豊かになるという訳ではないでしょう。

ロースクールに行った行かないに関係なく、様々なことに関心を持って生き、学び続けることが必要なのではないかと思うのです。

私自身は、まだまだプロセスの途上に過ぎないと思って、これからも頑張りたいと思います。