街頭に立つ

日弁連からの強い要請があり、2015年3月16日に集団的自衛権の行使容認について反対する全国一斉の街宣活動を行うことになりました。

そこで、不肖未熟のわたくしではありますが、街頭に立って演説してきました。協力的な会員もいて大変有り難かったのですが、こんな暇があるならどれ程皆が有意義な仕事ができるかと思うと悔しくて仕方がありません(だったら何もやるなという考えもあろうが、そのような訳にはいかないのです。)。無用な憲法論議を混ぜ返すのは社会的資源の無駄遣いになることを為政者は自覚すべきです。

 

ところで、日弁連あるいは弁護士会がこのような活動を行うとなると、必ずといっていいほど、強制加入団体が政治的意見の表明をするのはけしからん、という意見が出てきます。

しかし、この見解には以下の二つの理由により同意できません。

一つは、法的な観点から問題を指摘することは、法律家団体としての本来的な責務だからです。そもそも政治的ではない意見などありません。

もう一つは、過去の教訓です。戦前の弁護士業界の状況について記した本にはこうあります。

国家権力が一方的に強大となり、社会内の対立する利益と自由の併存が認められなくなり、個人の自由と権利の主張が国家的・社会的な害悪としか考えられないような社会体制のもとにあっては、弁護士は職業として成り立ちえないものであることを、その不幸な歴史は物語っている。(大野正男「職業史としての弁護士及び弁護士団体の歴史」141頁)

 

右か左かどうかとか関係ありません。ただ、弁護士が自由の破壊を看過するのは職業の自殺です(もっとも、弁護士を名乗って信用を利用しながら、職業的には死んでいる者も少なくありませんが。)。座して死を待つのか、それとも声を上げ続けるのか。それが問われているだけのことでしょう。