黒色聖誕節 (Black Christmas)

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華やかなクリスマスを迎える時期となりましたが、クリスマスの日すなわち12月25日は、香港にとっては忌まわしい記憶の日でもあります。

太平洋戦争というと真珠湾攻撃による開戦が思い浮かぶところですが、同時に英国植民地であった香港への侵攻も開始されました。

そして、香港が陥落し、日本軍による占領が始まった1941年12月25日は、黒色聖誕節(Black Christmas)とも呼ばれます。

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写真中央右にある大きな建物は当時の香港上海銀行ですが、この建物も日本軍に接収されて占領地総督部として使用されることになります。

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こちらは九龍に現存しているザ・ペニンシュラですが、このホテルの336号室で日本軍とイギリス軍との降伏文書が取り交わされました。

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ザ・ペニンシュラも軍に接収されていますが、占領中は「東亜ホテル」と改名させられています。噴水塔の裏にそのような標記がされているのが見えます。

これらの写真は、当時香港に出征していた祖父が、内地の親族へ軍用郵便で送付した写真です。祖父は2006年に92歳で亡くなりましたが、その後に見つかりました。

祖父は香港の占領について「イギリス軍はすぐに逃げ出した」と言っていました。確かに、史実としても3週間も掛からず香港の占領に至っているので概ね間違いないようです。

祖父の亡くなる前に私も香港に行くことがあり、その際の写真を見せたところ、祖父は目を見開いて「ああ、これは、俺がいたころと変わってない。」とはっきり喋りました。既に90歳を超えた祖父は、もう普通に話をするのは難しい状態だったのですが、脳裏に刻まれた戦争の記憶は明確に呼び起こされたようです。

占領中の香港市民の生活は悲惨を極めています。人口は大きく減少し、占領軍が軍票を乱発したので経済も混乱しました。

生前の祖父は戦時中の記憶をしばしば語ってはいましたが、激戦には至らなかった香港のことなのでそう悲惨な話をしていたわけではなく、また、地元民の生活について多くを語ってはいません。

後の世代の私としては、そのような時代もあったことを忘れないよう、残っていた写真と共に記憶を残しておきたいと思います。

今でこそ、香港と日本との結びつきも強いものになりました。北海道に関してだけでも、千歳にはキャセイパシフィック航空が飛んできますし、香港では乾物屋の軒先で北海道産の干し貝柱を見かけたりもします。

今後も、より一層市民間での友好が続くよう願って止みません。

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