間違いを 許してくれぬ ソクラテス(法科大学院の講義における具体的問題点の考察)

法科大学院の時代になって法律の講義方法にも変化が見られるようになり、いわゆるソクラテスメソッドが実施されることも一般的になった。

私はそのスタイルの講義を大学では受けなかったが、佐藤幸治先生が「ハーバードのロースクールでは~(以下略)」みたいな話を講義でされていた記憶はあるので、司法制度改革審議会でもアメリカンスタイルなアツい講義を実践したいといった理想が議論され、今のようになったのだと思う。

ところが、これがあまり良い評判が聞こえてこない1。具体的にいえば、単なるクイズをやっているとか、答えられないと怒られるとかいうような話である。

これではソクラテスも浮かばれないんじゃないか…ということで、若干思うところを述べることにしたい。

 

ソクラテスの問答法

出典がウィキペディアなのがちょっとアレだが、ソクラテスの問答法の例を掲げる。

  1. ソクラテスの対話相手がある命題、例えば「勇気とは魂の忍耐のことである」を主張する。この命題のことをソクラテスは偽であると考え、論駁の標的にする。
  2. ソクラテスは追加的前提、例えば「勇気は素晴らしいものである」ならびに「無知に基づく忍耐は素晴らしいものではない」への同意を対話相手から取りつける。
  3. 次に、これらの追加の前提は最初の命題と反対のことを含意するということ、この場合、それらの追加前提から「勇気とは魂の忍耐のことではない」が導かれるということを、ソクラテスが主張し、対話相手もそれに同意する。
  4. 次に、対話相手の命題が偽であること、ならびにその命題の否定が真であることを自分は示した、とソクラテスは主張する。

その論理構造を簡略にしてみると次のようになる。

  1. 対話相手は、「命題Xは真である」とソクラテスに主張する。
  2. ソクラテスは、対話相手に、命題Y・命題Zを認めさせる。
  3. ソクラテスは、命題Y・命題Zが「命題Xは偽である」ことを導くと主張し、対話相手にそれを認めさせる。
  4. ソクラテスは、対話相手が矛盾に陥ったことを示す。

ところで、こういった問答法は、法律実務家はどこかで自然と経験しているように思う。

二つほど例を挙げてみる。

 

口述試験

旧司法試験には口述試験があった。今でも、予備試験には口述試験がある。

口述試験では試験官の質問に受験生が答えていくが、知っていることを誘導に乗ってホイホイ答えていると、それまでの答えと矛盾する質問が出されて受験生がドツボる、という問われ方がされることがあった。

この種の質問の仕方を、当時の受験生は「泥船が出る」などと呼んでいた。乗っかったままだと沈んじゃうから「泥船」である。なお、何とかしようとあがいていると「助け船」が出ることもあった。

今になって思えば、あの試験は、泥船に乗って沈みかけた受験生の反応を見ることにもポイントがあったと思う。単なる法律クイズに答えられるかどうかに止まらず、法律家に求められる問答の能力があるかどうかを見ていたのではないだろうか。

 

反対尋問

反対尋問では、誘導尋問ができる2

一方、主尋問では誘導できないのが原則である3。証言をコントロールしてはいけないからである。反対尋問で誘導してよいのは、主尋問で現れた事項を聞く分には弊害が少ないというようなことが言われる。

ちなみに、訴訟法の教科書には「沈黙が最大の反対尋問」なんていう指摘があるくらいで4、無駄な質問をするのは大変良くない。

反対尋問の目標は、証人の証言に信用性がないことを示すことである。

もちろん、テレビドラマよろしく「私、ウソついてました!」と法廷で白状し始める人もいないわけではないが、一般的にはそうではない。

そこで、反対尋問では誘導ができることを活用して、証言の矛盾を導く手法が使われる。

何をするかというと、ひたすら誘導するのである5。そして、何を誘導するのかというと、証人が答えたことを用いて矛盾を導きたいのであるから、「証人が認めざるを得ない事実」かつ「証言の矛盾を導き得る事実」を誘導する、ということになる。

これは、ソクラテスの問答法と論理構造に共通する点がある(ただ、直接由来すると言えるかどうかまでは知らんので、刑事弁護に詳しい人かソクラテスに詳しい人からツッコミを入れていただけるとありがたいと思っている。)。

 

教育的効果

法科大学院でも司法研修所でも法廷弁護研修でもどこでも構わないのだが、問答法の論理構造を踏まえた上で訓練をすることは、大変良いことである。

ところが、法科大学院でのソクラテスメソッドのやり方をめぐっては、かなり変な話が聞こえてきていたので、残念に思っていた。

その原因は、学生の法律知識や教員の技量の点を措くとすると、ソクラテスの問答法の論理構造が教え手と学び手の間で共通に認識されないまま受け答えがされていることに帰着するのではないだろうか。

だから、ソクラテスメソッドと称して、単なる一問一答に終始したり、間違った学生を吊し上げたりするのではないか、という気がしている。逆に、一部から聞こえるように教育的効果が得られているというのであれば、論理構造を踏まえての受け答えが成り立つことで、学生に自らの理解の足りないところを気付かせるのに成功しているからだと思う。

なお、ソクラテスの問答法によるならば、対話の相手方である学生が間違ったことを言うのは元々想定されている事態だと思うので、学生にしてみればどんどん突っ込まれる体験をしてみたら良いと思う(もちろん不利益を与えられないことが前提である)。

 

まとめ

色々と述べたが、私の場合は法学部に入学してからの視野狭窄ぶりが結構ひどくて、ソクラテスのソの字も知らずに弁護士になっているから、そもそも、この問題について適切にものを言える立場でもない。

とはいえ、問答の作法を身につけること自体は、法律家に必須の素養である6

また、古今東西、法学の学び方には様々なやり方もあるが、工夫を凝らして少しでも良い方法を探求することは、実務家か研究者かを問わず重要な務めだと私は考える。そうでなければ、法に関する技術が後世に残せなくなるからである。

そこで、法科大学院でも、より一層充実した双方向の問答の訓練がなされることを大いに期待したいと思う。

 



  1. 具体的にどのような意見が噴出しているかということについては、次のツイートのまとめをご覧いただきたい。「謎の方法ソクラテスメソッド」https://togetter.com/li/1218984 

  2. 刑事訴訟規則199条の4第3項 

  3. 刑事訴訟規則199条の3第3項柱書 

  4. 田宮裕『刑事訴訟法』〔新版〕319頁(有斐閣、1992年) 

  5. 日本弁護士連合会編『法廷弁護技術』〔第2版〕135頁、140頁(日本評論社、2009年) 

  6. ただ、既にソクラテスメソッドなんて(アメリカの)ロースクールでもやってない、といった意見も耳にするところではある。井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』150頁(毎日新聞出版、2015年)