即身仏理論

北海道弁護士会連合会の定期大会が、平成27年7月24日、旭川市で開催されました。

例年、大会では決議案が上程されますが、そのうち一つの議案(「司法試験年間合格者数を現状から大幅に減員することを求める決議」)について、浅学菲才の恥を忍んで若干の意見を述べてきました。

私は、法律家は食べていけるかどうかを考えなくても、人々の役に立つ仕事をしている限り飢え死にすることなどないと思い、仕事してきました。そのような使命感をもつ弁護士は、この場にも多くいるはずです。このような考え方自体は妥当なものと考えます。

しかし、環境の変化はあまりに劇的でした。これでは、成仏できるどころではなく、即身仏になりかねません。

いわゆる成仏理論ですが、法律家の心構えとしては間違っているわけではないとは思うのです。

ただ、法曹人口の増加は現世に大きな変化をもたらしてしまったので、今や、成仏理論は即身仏理論に昇華しました。

 

しかし、どちらかといえば、私が言いたかったことはそんなことではなくて、法曹人口が増加しても理想が達せられたようには見えない、他の問題のことでした。

京都大学名誉教授の佐藤幸治先生は、「立憲主義について」という近著の中で、法の支配の強化のためには司法の人的基盤の拡充が必要、だから、司法試験合格者3000人を目標にし、法科大学院の創設をした、という点に触れられています。

しかし、法曹人口が増えて法の支配は強化されたんですか?

秘密保護法はできるし、安保法制も通りかねないし、法の支配も立憲主義もぶっ壊される一方です。在野法曹として、悔しくてなりません。私は、軽くいらだちを覚えています。結局、弁護士の影響力は低下しています。

もちろん、成果が見えるようになるまでは今しばらく時間が掛かる、ということではあるのかもしれません。

しかし、現実的に、些末な事件処理と営業活動のみに追われる在野法曹が、「この国のかたち」を、そして社会のあり方を、より漸進的に改良するための活動に全力を注ぐことができるでしょうか。そのような志をもって全力で活動すれば、即身仏にはなれるかもしれませんが。

さらに恐ろしいことは、本来、法の支配というものに最も敏感であるべき弁護士出身の政治家がそれを破壊するような政策を様々な場所で平然と推し進めていることです。

私は、惨憺たる気持ちになります。この人たちの良心はどこへ行ったのか、と。

なぜでしょう、政治家になった弁護士は、大幹部も若手も問わず、法の支配の基盤である「正しい法」を語らなくなります。

 

少し本題から外れましたが、法曹人口の問題に関していえば、司法試験の合格者を何人にすればよいのかというのは考えてみたけれども難しい問題です。

但し、昨今の法曹人口の激増は、法の支配を在野から実現しようとする良心的な弁護士の勢いを確実に削いでるなあ、とは感じます。

多分、それが私が感じる軽いいらだちの原因です。

どうしたら、より志のある人にこの業界に来てもらえるか、ということは弁護士業界に身を置く我々も真剣に考えないと、近い将来、理想に逆行して法の支配がゆがめられ、人間の尊厳が容易に奪われる社会が到来することになるかもしれません。

そんな社会になってしまうのであれば、法曹生命を賭けて即身仏化するしか途がありません。

 

 

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