我妻榮先生の勉強法

我妻榮先生といえば民法学者として法曹界では知らない人はいないであろう泰斗であり、改めていうまでもなく数々の優れた業績を残しているのですが、我妻先生の著作や講演集の中には、我妻先生ご自身の勉強の仕方について述べているものがあります。

狭く深くという精神

我妻先生は、山形県米沢市の出身ですが、米沢から出てきて、第一高等学校を受験したときのことをこのように回想しています。

当時は、三月に中学を卒業して六月に入学試験だったから、その間の三カ月を、神田のニコライ堂の下にある開成中学の予備校に通った。東京の中学を卒業した学生たちは、何と利口にみえたことだろう。田舎の中学の秀才は、言葉もロクに通じない。焦燥と不安の三カ月!文字通り骨身をけずった。(我妻榮『民法案内1 私法の道しるべ』228頁〔勁草書房、2005〕)

今は開成中学・高校は西日暮里に移転しています。遙か昔、ここの高校を受けに行った私も、周りの受験生が余りに頭良過ぎそうで卒倒した記憶があります。我妻先生のような後に偉大な学者となるような人であっても、東京に出てきたときには、東京の学生たちは余程できるように見えたようで、相当にびびっている様子が伝わってきます。

もっとも、そんな中でも、我妻先生は自分の勉強の仕方を崩すことなく入学試験を突破しています。

私は、入学試験勉強としては、中学の三年からの教科書を全部極めて詳細・正確に復習することをその中心とした。受験のための参考書は、その時分にも、むろんたくさんあったが、私はほとんど見なかった。狭く深く、徹底的に理解する。これが私の一生をつうじての勉強方針といってもよいかもしれない。(前掲228頁)

そして、我妻先生は第一高等学校から東京帝国大学法学部に進学し、更に研究者としての道を歩んでいますが、勉強の仕方の基本はずっと変わらなかったようです。

法律の勉強法についてこのように述べています。

私の勉強のやりかたは、前にもいったように、徹底的に理解することである。私が牧野先生の刑法の教科書を十何回読んだという伝説があるそうだが、非常な間違いである。全体を通じて一〇回も読むようなやり方は決してしない。わからないところは、二、三頁に一日も二日も考えることはある。そこをわからすために先生の他の論文を読むこともある。そして、わからないうちは、先に進まない。わかったうえで、サブノートを作る。そういうやり方で終わりまで一度読めば、あとはサブノートを主にしてせいぜい二度も繰り返せば十分である。(前掲238頁)

法律の研究者として論文を作るときのやり方も、基本的には変わらなかったようです。

私は、現在、外国の本を読んで論文を作るときにも、大体こういうやり方をする。すなわち、主要な参考書をまず徹底的に理解する。それから、それを中心にして、関連する他の参考書に手を拡げる。その手を拡げる広さと深さとは、問題にもより、場合にもよる。しかし、とにかく、狭くとも深くというのが私のモットーである。(前掲238頁)

このように、我妻先生は一貫して、狭く深く、そして徹底的に理解する、という精神で学ぶことを実践していました。

但し、我妻先生の「狭く」というのは、私如きにしてみれば、地平の見えない程度に広大なものなのかもしれませんが、ともかく、狭く深く理解して、そこから学問の世界を拡げていく、という姿勢を貫いていたのでした。

昨今の大学入試

ところで、昨今の大学入試では、知識偏重の選抜から多面的な評価へ、などというスローガンが掲げられることがあります。

今の入試制度は画一的で暗記偏重だ、幅広い視野や論理的な思考力が身に付かない、これからの社会では思考力や判断力や多様な人との協調性が大事になる、等々、どこかで聞いたような言葉が連なって聞こえてきます。選抜方式も推薦やAOが増え、選抜手段も小論文、面接、集団討論やプレゼンといったものが積極的に導入されるご時世です。

我妻先生のことを、幅広い視野や論理的な思考力がない、と批判する人は皆無と思います。むしろその逆です。

しかし、今や少数派かもしれませんが、我妻先生のように、勉学環境が十全ではない地で教科書を緻密に理解していくような勉強の仕方をしていた人にとっては、変な入試制度で妙な能力が要求されたりすることになると、影響がありそうに思います。

講演録より

我妻先生も、母校である米沢興譲館高校での講演で、戦後に学制改革がなされたことの影響についてこんなお話をしています。

一段跳びだと東京にある大学は、東京の高等学校を卒業した気の利いたやつが、大部分を占めることになります。田舎の者は大器晩成ですよ。戦後の学制改革の欠点がそこにあると私は思っているんです。入学試験ではうまくいかんけれども、七十才になっても止めないで、倒れるまで仕事をして行こうなんていう馬鹿正直なやつは、田舎でなければ育たない。そういう人を、東京大学に学ばせるチャンスというのはだんだん減って行くんです。私は悲しんでおります。(『我妻榮講演集 母校愛の熱弁』49頁〔財団法人自頼奨学財団理事会、2000〕)

東京の高等学校を卒業しても、たいして気の利かない私としては、ああなるほど、と思ったものです。

確かに、東京の環境は何かと気が利いていて、東大に行きたいと思えばそれ専用の塾もありますし、進学指導に熱心な学校も少なくはありません。要は、都会はそれだけ試験対策を主眼としたトレーニングの機会には恵まれているのですが、主眼が偏ると、「倒れるまで仕事をして行こうなんていう馬鹿正直」さのようなものは鍛えられにくい環境になるのかもしれません。

まとめ

本当に身につけるべき、あるいは試されるべき学力というものは、いかなるものなのでしょうか。

我妻先生も自分のやり方が絶対だとは考えてはいなかったようですが、時代が変わってもそうは変わらない部分もあると思います。

我妻先生が実践していた勉強の仕方に鑑みれば、個人が能力を発揮する基礎としては、たまたま難しいことを表現できたり知っていたりすることよりも、より基本的なことを、より緻密に理解していることの方が重要なのではないか、というように感じます。

入学試験に限りません。法体系なんかはそう大きく変わってはいない訳ですから、法律学の勉強においても同じことではないかと、今となっては思うのです。

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