民事訴訟は本当に充実するのか?

 

現行民事訴訟法施行20周年

現行民事訴訟法施行20周年を記念して、論究ジュリスト24号に特集が組まれており、武藤貴明判事が論文を寄せている1と聞いた。

武藤判事は帯広に赴任されていたことがあり、期日が終わると矢のような速さで争点整理案が送られて来たり、当事者双方ぐうの音も出ないような判決を書かれたりということで、僭越ながら、当時より大変優れたご活躍をされていた印象があった。

そこで、早速取り寄せて拝読した。

 

「充実した審理の阻害要因」

本論文では、弁護士に対して次のように手厳しいご指摘がある2

また、近年、若手弁護士の増加や代理人と依頼者との関係の変化等を背景に、十分なスキルを有しない代理人が、準備不足のまま訴えを提起し、あるいは争点整理手続に臨んだり、依頼者の意向のままに訴訟活動を展開し、争点整理にも非協力的な態度を示すといった傾向が強まっているようにも感じられる。こうしたことも充実した審理の阻害要因になっていることは否定できない。

誠にお恥ずかしいが、まったくそのとおりである。

争点整理手続で当事者に充実した受け答えをしてほしい、といった問題意識は、裁判所サイドから度々聞こえてくる。

しかし、そうもいかない。

いや、そうもいかなくなってきた、ということなのだが、充実した審理の阻害要因という点については思い当たることがあるので、弁護士側として考えられる実情を三点ほど挙げて検討することにしたい。

 

カジュアルな受任スタイル

第一に、弁護士が面談もせずに各地の依頼者を漁るスタイルが流行するようになったということがある。

このスタイルでは、ほぼ必然的に、弁護士が依頼者の事情を十分に把握できないまま事件処理をすることにつながる。事情を知らないまま弁護士が期日に出頭してきても「分かりません」としか回答しようがないし、そもそも本当に大丈夫か、ということになる。

これは、弁護士の宣伝広告の自由化及び広域化がもたらした現象である。もちろん、そのようなスタイルの法律事務所が縮小するという方向性により、この問題が多少改善することはあるのかもしれない。

ただ、そうでないとしても、弁護士と依頼者がコミュニケーションを取るための手段は多様に発達しているのだから、何が何でも事務所に来てもらって面談を要する時代でもないだろう。そこで、技術的な手段を活用して、このような問題を解消するという方向性はあるのではないか、とは思っている3

 

後ろから弾が飛んでくる

第二に、弁護士の依頼者への従属性が強まったということがある4

本来、委任というのはそのような関係ではないと思う5。しかし、弁護士は自分の命令どおりに動く存在だとしか思ってない依頼者は多いし、気に入らなければ解任してやる、次第によっては懲戒請求してやる、と思っている依頼者も存在する。

更にいえば、顧客獲得競争が厳しくなってしまったので、依頼者の無茶な意向にも益々付き合わざるを得なくなっているし、また、懲戒手続の存在がポピュラーになってしまったので6、濫用的な懲戒請求にも今まで以上に警戒せざるを得なくなっている。

こうして、弁護士が依頼者に対してナーバスになる度合いはより一層強まるようになった。

そうすると、争点整理の局面でも、うかつに依頼者の意向と違うことを口走って後で問題となることは避けたい。一般的に、弁護士は前から飛んでくる弾はそれほど恐れないが、後ろから飛んでくる弾には強い恐怖を感じる性質がある。

そんな状況では、とてもではないが充実した議論どころではないのである。

 

揚げ足取りに終始する

第三に、揚げ足を取る弁護士が増えたということがある。

もちろん、昔からそのような輩はいたのかもしれないが、気になるほどではなかったと思う。特に、代理人の態度としていかがなものかと考えるのは、交渉段階で出た話を、訴訟において揚げ足取りのために主張するようなことである (例:「金を払うといって一旦は和解の提案をしてきたんだから責任を認めたということだ!」)。

勝たないと死ぬ病でも蔓延しているのだろうか。実は、そのような主張を行う弁護士は大変増えているため、率直に申し上げて我々も困惑している。

争点整理の局面でも同じことで、そういう揚げ足取りに終始する弁護士が増えてきたと思えば、警戒を緩めるわけにはいかない。だから、自由闊達な議論なんかできるわけがないのである。まさに、謝ったら死ぬ病である。

こうして、議論の筋道を引き戻すのが難しくなると、審理が迷走するのであろう7。そうなるとすれば、その責任は概ね弁護士の側にある。

 

最強の弁論術

かくして、日々、全国津々浦々の法廷を駆け巡る法廷弁護士たちは、ただ一つの最強の弁論術を編み出すに至る。

すなわち、

次回期日に主張します!

というアレである。

いつもヌケヌケとそのような対応をしやがってこの○○8な代理人が、と思われることもあるかもしれない。

しかし、これは、依頼者、相手方、裁判所9といった、訴訟を巡る様々な主体との関係性を熟慮した末に止むなく発する一言なのである。

もちろん、単純に調査不足の場合があることは、否定しない。それではまったくダメなので、準備はちゃんとしよう。

 

民事訴訟の今後

こんな議論をしているようでは、さすがに身も蓋もないので、これからの民事訴訟の展望を論じることにしたい。

武藤判事の論文は、次のように結んでいる10

もとより、民事訴訟の改善は、裁判所のみでできることではなく、弁護士や弁護士会の協力も不可欠である。これからの10年を「民事訴訟充実の10年」にしていくため、我々実務家には、一致協力して、現行民訴法の理念に立ち返り、利用者のための民事訴訟を実現していくことが求められているといえよう。

ぐうの音も出ないとはまさにこういうことであり、まったくそのとおりである。

裁判所も努力しているところであるから、メインユーザーである弁護士も、様々な努力をしていかなければならないのであろう。

 

弁護士の苦悩

それでは、今の時代を生きる弁護士としては、いかなる努力ができるだろうか。

第一義には、目の前の事件に真摯に取り組めということではある。

しかし、弁護士の生存環境が厳しくなればなるほど、丹念に依頼者から事情を聞き取り、事実関係や法的問題を調査し、隙のない書面を書き上げ、尋問のための入念な準備をするといった、非定型的で多大な時間と手間が掛かる訴訟事件の処理に経営資源を振り向けることは、益々困難になる。

その行き着く先は、「難しい依頼者は受けない」「少額の事件は受けない」「勝てない事件は受けない」「複雑な事件は受けない」「回収困難な事件は受けない」ということになるだろうし、それに止まらず「訴訟は控える」「訴訟外業務に注力する」ということもあり得よう。

果たして、そのような傾向が著しくなった場合に、司法は役割を維持することができるのであろうか。

司法の役割について「裁判所を中心とする法原理のフォーラム」11とする捉え方がある。しかし、いくら裁判所が民事訴訟の充実のために努力をしても、弁護士が持ち込む事件の傾向が限られるとか、弁護士の訴訟活動の質がアレだということでは、フォーラムの土台はぐらついてしまうだろう。

本来は、弁護士も法廷における職人として訴訟技術を磨くべきであり、そのための研鑚が活発に行われることが望ましい。しかし、残念ながら、現在の弁護士業界で主要な関心が向いている点は、そこではない。どちらかというと、技術性とか専門性はそっちのけでどう売り込むかみたいな話の方が多くなってしまった。一連の改革がもたらした悲劇である。

 

まとめ

以上、民事訴訟の改善に向けては裁判所も様々な取り組みをしているところであり、そのような活動に対しては敬意を表したい。一方で、民事訴訟を積極的に活用したいと願いつつ、実際なかなか使い切れていない場面もある弁護士の立場としては、いささか苦悩もある。

とはいえ、裁判所を中心とする法原理のフォーラムは、究極的には個人の権利及び自由を維持する上で必要不可欠な存在であるから、それがより一層質的に豊かで充実したものとなることを一法曹として心から願っている。

さて、そろそろ起案にとりかかろう。

 

 


  1. 武藤貴明「裁判官からみた審理の充実と促進」論究ジュリスト24号14頁以下(2018年) 

  2. 前掲17頁 

  3. 民事訴訟手続においても、既にテレビ会議システムを利用する等の取り組みは一部でなされているが、やっと書面の電子化の動きも具体化してきたというような報道も聞こえてきている。そのような動向の行き着く先は、おそらく司法の一極集中化ではないかという懸念も感じているところではあるが、今後の動向を注視したいと考えている。 

  4. 余談となるが、司法修習生は、当事者本人が同席するか否かで弁護士の振る舞いに変化があるか観察すると良い。当事者本人の前でハッスルする弁護士は少なくないし、度を超していることもある。当職は、そのようなスタイルは好きではない。裁判所は、法原理に基づいて問題を解決する場所であるから、そこでの議論は理性的であるべきではないかと思う(もちろん、そのような姿勢であるから依頼者の受けが悪いと自覚している。)。 

  5. 我妻栄『債権各論 中巻二』652頁(岩波書店、1962年)から以下引用。「委任は、他人の労務を利用する契約の一種であって、一定の事務を処理するための統一的な労務を目的とすることを特色とする。統一的な事務を処理するためには、多かれ少なかれ、自分の意思と能力によって裁量する余地を必要とし、従って、その労務は、いわゆる知能的な高級労務であることを常とする。見方を変えれば、委任は、他人の特殊な経験・知識・才能などを利用する制度なのである。」 

  6. 無論、懲戒手続の適正な発動は必要である。しかし、テレビで不当な懲戒請求を扇動して濫用的な懲戒請求が多数生じるようになったきっかけを作った人に関しては、二度と弁護士の肩書きを用いて活動すべきではないという程度には考えている。 

  7. もちろん、優れた裁判官は、そうなる前に箸にも棒にも掛からない主張はきっちりシャットアウトしている。 

  8. 適当と思われる二文字を各自補充されたい。 

  9. 大坪和敏「弁護士からみた審理の充実と促進」論究ジュリスト24号25頁(2018年)より以下引用。「自由な発言が出来ないのは、和解に関し、和解を希望する事件であっても、裁判官に不利な印象を与えることを懸念して当事者から裁判所に和解の希望を申し入れることを躊躇する傾向があるのと同様に、弁論準備手続における自由な発言で、裁判所に不利な心証を取られるのではないかという懸念があるためと考えられる。」 

  10. 武藤・前掲19頁 

  11. 第154回国会参議院憲法調査会における佐藤幸治参考人の基調発言より。 

ブックレビュー:『変貌する法科大学院と弁護士過剰社会』

 

はじめに

法科大学院、法テラス、裁判員裁判・・・司法制度改革に対してどのような評価をするかは、なお議論がある。

ただ、全く問題なくうまく行っていっていると言い切れる人はいないと思う。万が一にもそのような人がいるとすれば、清々しいほど超然的である。

本書には、司法制度改革のうちでも、特に、法科大学院と法曹人口の問題についての論考がまとめられている。

 

ドグマチックな法科大学院

まず、本書では、法科大学院の制度設計について論じている。そこで目を引くのが、法科大学院には現実を無視した数々のドグマが存在していた、という指摘である。

ざっと読んでみても、司法試験敵視ドグマ、起案敵視ドグマ、双方向ドグマ、幅広い知識と教養のドグマ、理論と実務の架橋ドグマ・・・等の指摘がある。嗚呼、もう、これだけでも何か大変なことになってるなあという想像がつきそうである。

さすがに、成果が上がってないのでマズいということが認識されてきたのか、現在は修正が図られつつあるということも本書では述べられている。

しかし、一体今まで何をやっていたのだろうか。

法律学の修得はなかなか難しいと思うのだが、適した方法は色々とあり得る(より端的にいえば予備校をバカにできない)。だから、そのような方法に何としても拘らなければならない、ということではなかったんじゃないかと思うのである。

 

法曹人口問題のこと

法曹人口が増えたことで法曹の質が低下している、という話については良く耳にするが、本書でもいくつか具体的なエピソードが紹介されている。

質が低下しているかどうかということについてはなかなか断言しづらい。当職自身も、人のことが言えるほど高品質かどうかといえば、あやしい。

ただ、事件が解決しづらくなっている、というような雰囲気は感じることがある。その一因として、本書でも指摘のあるとおり、依頼者への従属的傾向が強くなっているということはあるかもしれない。それ以外にも、問題事例を見かける機会は、少なくなくなってきたように思う。

さすがに、法曹三者のいずれを問わず、法律家が法律判断を間違えるような事案が頻発するといった事態にはならないでほしい、と祈るような思いでいる。

 

本書の結論に対する意見

本書の結論は、「法科大学院の入学総定員数は司法試験の合格者数から逆算し、法科大学院に入学すればよほどのことがないかぎり司法試験にも合格できるようにする」(282頁)というものである。

また、そのための抜本的改革ができなければ、「司法試験の受験資格要件から法科大学院の修了を外すことを検討するしか方法はない」(285頁)とする。

この考え方に対しては、概ね同意するところである。

概ね、というのは、抜本的改革は困難に見えるからである。例えば、ここに来て、法学部+法科大学院での5年一貫コースを設けるといった苦し紛れの構想が繰り出されたが、なお制度が迷走していることを象徴しているようである。

本当に法科大学院に魅力があれば、司法試験の受験資格要件に関わりなく存立できるはずである。いや、そうでなければならないのである。一部の法科大学院は先導的法科大学院(LL7)と称しているが、それも生き残りをかけての活動の一環ということなのであろう(個人的には、京大が徒党を組まされているのが大変気に入らない。)。

結局、法学部では学び足りなかった人や非法学部出身者のために、法科大学院はあっても良いと思う。一方で、司法試験は自由に受けられるようにしてその時点での能力に応じて選抜する、ということで良いのではないか。当職はそのような意見を持っている。

 

 

ブックレビュー:『依頼者見舞金ー国際的未来志向的視野で考える』

 

はじめに

今年3月の総本山での臨時総会で、依頼者見舞金制度の導入が決議された。

個人的にはこの制度の導入に反対していたので、まずは以前の記事を紹介しておきたい(「依頼者見舞金の展望:アメリカの状況を踏まえて」)。

臨時総会での決議がなされた翌月に出版されたのがこの本である。内容としては、2014年に開催された法曹倫理国際シンポジウムの記録であるが、依頼者見舞金制度導入のタイミングを踏まえて慌ただしく出版された印象を受ける。

 

感想

本書のハイライトは、須網教授と弁護士のディスカッションが噛み合っていない場面である(59頁以下)。

須網教授は、隣接士業と重なる弁護士業務が行政の監督を受けないのはおかしいとか、問題会員への弁護士会の指導・監督が足りないといった趣旨の指摘をされる。司会者は「いろいろプロボカティブな質問」と取り繕ってはいるが、いささかトンチンカンな問題提起である。

それで、弁護士側から説明がなされると、「私は、ちょっと実務があまりよく分からないので」だとか「ちょっともしかすると、趣旨が伝わらなかったかもしれないのですけど」などと始まる。本当に大丈夫かという感じである。

石田准教授の論考への意見は以前にも書いた。最近も寄稿を見掛けたが1、アメリカと同様の制度を導入することの単純明快な説明に終始している。

今も横領被害は起きる中、国際的やら未来志向だとか悦に入っている場合ではない。一体何のシンポをやっていたのだろう。

 

法曹倫理の課題

ところで、ちょっと実務があまり分からないなんて仰っている須網先生、別の所では給費制復活運動を目の敵にして弁護士会を罵倒している2。大変正直な人なのだと思う。

こうなってくると、理論と実務の架橋どころではない。相互不信の根深さは、法曹養成制度に暗い影を落としている。

つまらないからなのか学生には評判が悪い科目であるようにも聞こえてくるが、法曹倫理を教えないならロースクールはなくてもよい。法曹倫理の理解は道を踏み外さないために不可欠なだけに、机上でもしっかり身に付けて実務に出ていく人が増えることを祈っている。

 

 


  1. 石田京子・加戸茂樹「依頼者見舞金制度と米国の依頼者保護基金制度の比較」自由と正義68巻9号22頁以下(2017年) 

  2. 須網隆夫「司法修習生への給費制復活」法律時報89巻4号3頁(2017年)には、「弁護士会は、給費制復活のために、弁護士の経済的利害を追求する圧力団体として徹底的に行動した。このことは、日本の弁護士の歴史に汚点を刻むものである。」とある。謎理論である。 

平成29年司法試験の結果について

今年の司法試験の結果の発表が、平成29年9月12日にあった。

そこで、昨年までのデータに継ぎ足して今年もグラフを作ることにして、若干の感想を述べてみることとしたい。

 

受験者数と合格者数

受験者数は昨年より932人も減少した。

今年は、総合評価の対象者が過去3番目に少ない3594人であった。択一試験と論文試験各科目の25%点で足切りされた人が多かったということで、不得意な分野を作らない勉強が大事だということではあるのだろう(月並みな感想ですみません)。

そして、合格者数は40人の減少となった。合格者1500人台というのは、各方面から叩かれにくい数字という消極的な意味があるのだろう。何人になっても文句をいう人は必ずいるわけだが、そのうちもっともマシなところということである。

 

合格率

対受験者での合格率は25.86%となり、昨年より上昇した。とはいえ、ほぼ4人に3人は落ちるのでそう簡単な試験ではない。

ただ、合格者数が大きく変わっていないので、合格率が上昇したのは単純に受験者が減ったからだというような読み取り方にならざるを得ないようにも思われる。

 

法曹人気の復活なるか?

さて、合格率の上昇は、法科大学院への入学者数の回復に結びついたり、法曹人気の復活につながるだろうか。

法科大学院への入学者数は年々減り続けていたから、司法試験の受験者数もそれに対応して今後も減り続ける。そうすると、資格試験の水準を維持する観点から、合格者数の水準をそのままにしていて良いのかという議論は出て来ると思う。

そうなってくると、どうにも先行きが読みにくい雰囲気である。そこで、結局、法曹になった場合の経済的なメリットが強く見込める環境にならない限り、資格取得のコストが高い法曹への人気は復活しないだろう。

え、大成功している弁護士もいる?それはごく一部であって、そんなに確実ではない。法曹志願者を増やすために弁護士の魅力をアピールしろとどこかから聞こえてくるが、不用意にいいとこ取りして悪徳商法の勧誘みたいになってはいけない。

 

まとめ

現職の弁護士たちからすれば、過当競争は避けたいので合格者をもっと減らせ、という議論はある。その点をどう評価すべきか、色々考えているが相変わらず難しい問題である。

とはいえ、司法試験の合格者数に極端な変動がない限り、当面は弁護士人口が減ることもない。従って、それがまともな競争になるのかおかしな競争になるのかは知らないが、競争環境は緩和されないということである。

当職としては、法曹人口の多寡にかかわらず生き残るための工夫に励むしかないようである。弁護士業界も人材が増えた分だけ多様になり、特に、若い世代は社会の変化に良く対応しているようにも見えるから、そういう動向を柔軟に見習う必要も強まっているようには思う。

 

 

認定司法書士の締結した和解契約に関する最高裁平成29年7月24日判決について

以前の記事でも触れたように、司法書士が債務整理の分野に進出したことに伴い、その権限の範囲について問題が生じたことがあった。

その記事には、

そうすると、140万円を超える請求権の発生する事案で司法書士が関与して行った和解は、たとえ形式的には本人にハンコを押させたからといっても無効とされる余地が出て来るような気もします。

さあ、そうなると、和解無効を理由として紛争が蒸し返されることはあり得るんじゃないでしょうか。貸金業者はたまったもんではありません。

と書いているが1、締結した和解契約が無効になるかどうかという点は、必ずしもはっきりしていないところであった。

 

認定司法書士による和解契約の効力

さて、認定司法書士が締結した和解契約の有効性について、最高裁判所が判決を出した。

平成29年7月24日 第一小法廷判決2
認定司法書士が委任者を代理して裁判外の和解契約を締結することが同条3に違反する場合であっても、当該和解契約は、その内容及び締結に至る経緯等に照らし、公序良俗違反の性質を帯びるに至るような特段の事情がない限り、無効とはならないと解するのが相当である。

ということで、認定司法書士が締結した権限外の和解契約を有効としている。

これは、計算上約330万の過払いがあったはずだが、認定司法書士が200万円で和解したという事案である。

 

判決の評価

本来出来ない業務に関与している認定司法書士が有効な契約をできるか、という点に関して、最高裁は、特段の事情がない限り無効とはならないという判断をした。

しかし、弁護士法72条違反の法律行為は、公序良俗に反して無効であるとされる4。無効な契約に基づく行為は、どこまで行っても無効ではないのだろうか。にもかかわらず、有効になる場合があるというのが、今回の判決の内容である。

単純に考えれば、筋が通ってない。

確かに、単純に和解無効とすると法的安定性は損なうのだが、貸金業者の方だって認定司法書士の関与について見て見ぬふりをしていたはずである。代理人が司法書士なら140万まで!というのは法令上の制限なのであるから、分かっていない訳がない。和解無効のリスクがあることは承知していて当然である。

そこで、どうも釈然としない。

実際上は、公序良俗違反の性質を帯びるに至るような特段の事情を主張して争う、ということにはなるのだろう。

 

判決の影響

この判決で救われたのは貸金業者ということになる。

過去に認定司法書士が関与した権限外の和解契約について、蒸し返されて無効主張されても負ける可能性は小さくなるだろう。貸金業者はほっとしているはずである。

一方、権限外の金額となる和解に関与した認定司法書士の責任は、どうであろうか。

今回の判決では「当該認定司法書士は委任者から報酬を得ることもできないこととなる」などと言及している。そうすると、権限外の業務に報酬請求権がないことのお墨付きを与えたような感もあり、債務整理の報酬を返還しろという請求は生じそうである。実際にそこまで踏み切る人がどれ程いるのか分からないが。

また、出来ることと出来ないことをしっかり説明しないと、説明義務違反を問われる5

本来請求できたはずの額との差額まで損害賠償請求されるかどうかは、事案にもよるところであろう6

 

まとめ

以上のとおりで、以前の記事に書いたのと同様、140万円超の和解に関与した認定司法書士は依然として責任を問われるおそれが続いているので、この問題、どう収束することになるのか気になるところではある。

 

 


  1. 「司法書士の代理権に関する最高裁平成28年6月27日判決の衝撃」http://iwata-lawoffice.com/wordpress/wp/?p=2946 

  2. (PDF)http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/944/086944_hanrei.pdf 

  3. 弁護士法72条。 

  4. 最高裁判所昭和38年6月13日第一小法廷判決(PDF)http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/792/053792_hanrei.pdf 

  5. 大阪高裁平成26年5月29日判決(最高裁平成28年6月27日判決の原審)では、慰謝料として1人当たり10万円を認容している。 

  6. 前掲大阪高裁判決では、回収見込額等の事情について必要な説明がなされていたことを理由として、この点の請求は認められていない。 

弁護士に 死ねというのか 法テラス(国選弁護報酬算定における具体的問題点の考察)

今日もがんばって釧路の裁判所に行くぞ!!

裁判員事件が釧路で行われる場合、概ね、9時半ころに開廷し、17時ころに終了する、というスケジュールで、連日開廷される。

ところで、開廷が9時半の場合、帯広から始発の汽車に乗っても間に合わない1

9時半開始の期日に出ようとすれば、朝早くから2時間強を掛けて、120キロメートル余りの道程を自動車で行かなければならない2

 

いわゆるクソテラスメソッドの発動

そこで、連日9時半から開廷しているときは、釧路以外のところから来た弁護人は、釧路に泊まるのが普通である。

しかし、法テラスは「一般国民の目からみても、宿泊することが真にやむを得なかったと認められる場合」に宿泊料を出す、という基準を持ち出してくる。平たくいえば、午前6時以降に出発すれば間に合う場合や、日付が変わる前に帰り着く場合には、宿泊料を出さない。

これによると、帯広の弁護人は、朝6時に家を出れば間に合うし、日付の変わる前には帰れるから、宿泊料は出ないことになるらしい。

つまり、帯広・釧路間を、自分で車を運転して連日往復しろ、というのである3

死ねというのか。

これは、二つの点で不正義であると思う。

 

不合理な待遇差

一つは、裁判員や検察官は、泊まっているからである4。にもかかわらず、税金を無駄にできないから弁護人は自腹を切れ、と法テラスはいう。

なぜ、弁護人だけが、違う取扱いに甘んじなければならないのであろうか。

等しきものは等しく扱え、というべきである。

裁判員に対しても、朝6時に出てその日のうちに帰れる人の宿泊料は出ないので、毎日釧路まで車で往復してください、とのご案内でもしているのであろうか。

まさかそんなことはないと思う5

 

タダ乗り

もう一つは、なぜ、弁護人は他人のための活動をしているのに、自腹を切らねばならないのかということである。

そもそも、裁判員事件が始まったために、帯広の弁護人は、裁判のためにわざわざ釧路に行かなければならなくなった。新たな負担を強いておきながら、国民のための制度だから我慢しろというのか。

しかし、どんなに裁判員制度が国民のためによい制度であったとしても、その実現のために、特定の人間に特別な犠牲を強いるのは誤っている。

それは、単なるタダ乗りである。

釧路での宿泊料は比較的高くないが、それでも、連泊すれば万単位の出費にはなる。これは実費である。本来は、弁護人が負担する謂われはない。

何も、弁護料を上げろというのではない。せめて実費くらいは出してくれないだろうか。

 

いつまでも 法の光は 差し込まぬ

このような扱いだと聞いて、さすがに、法テラスの事業に協力する気が失せてしまった6

もちろん、法テラスを使わないと、弁護士の助力を得られないというお客さんは、いる。そういう人からお願いを受けてどうにかしなければならない、という場合には多少悩むと思うが、法テラスの側からあれやれこれやれと言われるのは、もうイヤだ、というしかない。

力及ばず、無念である。

 

まとめ

法テラスが大変勿体ないことをしているなあ、と思うのは、せっかく多士済々な弁護士各位の協力を辛うじて得られているのに、その能力を生かす努力をしていないことに尽きる。

むしろ、やる気を殺ぐようなことばっかりやっている7

弁護士のやる気を損なわない頼み方をしてくれるのであれば、これほどまでに不満の矛先を向けられるようなこともなかったと思うので、誠に残念である。

 

 


  1. 平成29年4月1日現在、帯広からの始発は、帯広発9時26分→釧路着11時00分の特急スーパーおおぞら1号である。注意すべきことに、この路線の列車は遅延することも少なくない。実際に、当職も判決言渡の開始に間に合わなかった経験がある。 

  2. 当たり前であるが、自動車の運転をできることは、弁護人となるための要件ではない。そこで、自動車で移動できない弁護人が帯広で選任された場合、釧路で連日開廷される期日に往復できないという問題がある。 

  3. 当会の支部所在地から釧路へは、運転手付きで移動する人や、日帰りする人も、いないわけではない。しかし、前者は例外的であるし、後者は連日往復するとなれば相当な無理があり、訴訟活動への集中力が削られるであろう。少なくとも、連日裁判員事件に出廷し、法廷の準備もしながら、毎日片道120キロメートルの道程を自分の車を運転して往復する生活を1週間続けたら、当職は過労死すると思う。 

  4. 例えば、以前の釧路地検の検事正が書いた文章を見ると、「平成23年2月初旬までに行われた合計4件の裁判員裁判において,選任された裁判員34人(補充裁判員を含む)のうち,審理期間中釧路に宿泊した裁判員は20人にのぼる。」とある。http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/kushiro/page1000057.html 

  5. もちろん、そんな扱いをすれば、釧路周辺以外の裁判員候補者が呼び出しを拒絶する事態となるのは容易に想定されるから、できないと思う。なお、付言すると、法テラスは、国が設立した組織であるし、国選報酬算定を担当する国選弁護課長は、裁判所からの出向者が務めている。 

  6. 釧路の地方事務所は、当地の実情を承知していたから、どうか帯広の弁護人には宿泊費出してやってくれ、と強力に押していたようである。唯一の救いである。問題は、せいぜいグーグルマップみたいなもので経路検索する程度で実情も知らずに費用の算定を行い、弁護人から宿泊費を必要とする事情をいちいち主張して異議を出さない限り宿泊費を出さず(なお、異議を申し立てて必要性を主張すれば出るようである。)、当初の算定には誤りがなかったなどと強弁する法テラスの総本山である。 

  7. 例えば、普通に考えて必要な費用であっても、異議が出るまで無視を決め込むという姿勢はどうにかならないものか、とでも言おうと思ったが、もはやどうにもならないのだろう。費用の不払いをする者からの頼みごとを忌避するのは、一般国民の目から見ても、普通の態度である。何も、法テラスが憎いから特別に厳しいことを主張しているわけではない。 

法テラス10周年-失われた10年と今後に向けて


ということで、法テラスこと日本司法支援センターは、業務開始から10周年を迎えました。

しかし、業務開始10周年となりましたことを心からお祝い申し上げ…られるような思いには到底至らないのが残念なところです。良い機会ですので、司法制度改革の三本柱のひとつ1であるというこの組織の活動について振り返ってみようかと思います。

 

法テラス白書

法テラスの概況については上記の白書を参照していただければと思います。ただ、分量が非常に多いものですから、気になるところを指摘していくことにしようと思います。

 

民事法律扶助関連業務

業務実績が着実に伸びているとの自画自賛ぶりで実におめでたいことです。

しかし、平成27年度の白書を見ると、法律相談援助件数は平成23年度から5年にわたってほぼ28万件前後です。また、代理援助件数も平成21年度から7年間にわたり10万から11万件の間で大きな変化はありません。ですから、着実に伸びているというのは言い過ぎでしょう。

むしろ、弁護士数が増加していながら、それに比例せずに利用件数が頭打ちになっているのがどうしてか、ということを考える必要がありそうです。

ただ、これは推測するなら容易なところで、世の中の紛争自体が頭打ちということよりは、報酬が低廉でありながら事務的な手間が年々増えている民事法律扶助業務を受ける弁護士の数は、契約弁護士の数にかかわらず実際は頭打ちになっているという要素がありそうです。なお、立替金の償還条件も昔より厳しくなったりしているので、被援助者にもより使いづらくなっているように思います。

一方で、毎年度増加する指標として、民事法律扶助の不服申立て件数があります。

白書では弁護士と依頼者のどちらから申立が多いかはっきりしないのですが、いずれにしても、業務量が横這いでありながら不服を有する人が増えているのであれば、関与者の不満の標的になっているだけの法テラスはその存在意義を強く問われるでしょう。

 

国選弁護等関連業務

被疑者国選の選任件数は平成22年度から概ね横這い、また、被告人国選の選任件数は平成21年度をピークに漸減しています。なお、この間、勾留状発布人員及び起訴人員は減っています。

また、少年事件の国選付添に関しては、少年法の改正に伴い平成26年度以降の受理件数は拡大しています。

むしろ、少年事件に関しては、一般保護事件の件数が平成19年度に比べると半分以下になっているという変化の方が重大です。凶悪な少年犯罪が増えたとかいう言説を耳にすることもありますが、これはもう本当にイメージの話で、統計上は少年事件はとても少なくなっています。

犯罪件数が減少する傾向にあるのは社会的には大変良いことです。ただ、それはおそらく法テラスの活動の成果ということではないと思われます。

 

犯罪被害者支援業務


国選被害者参加弁護士への委託件数は、法テラスの事業の中でも毎年度の増加が見られる数少ない分野となっています。

もっとも、当事務所では色々と悩むところがあって、他の法テラスの事業には何とか協力していてもこの分野は扱っておりません。

個人的には、昔、団藤重光先生が大谷實先生に対して「大谷君、10年早いよ」と仰ったというエピソード2がどうも今でも(それからとっくに10年以上経ってますが)引っかかっています。

 

法テラスの弱み

業務開始10年を経た法テラスですが、その認知度として「全く知らない・聞いたことはない」が未だに49.4%あるということですので、必ずしもその活動は国民各層に浸透しているとは言い難いところです。

この組織の一番の問題は、実際の活動を担う大部分は個々の弁護士であるにもかかわらず、事件を取り扱う弁護士を大事に扱わないことにあります。そして、自分の組織だけでは何もできないくせに大風呂敷ばっかり広げようとします。


例えば、27年度白書では、民事法律扶助業務に関するトップのページにいきなり「司法ソーシャルワーク」という単語がちらちら出て来ます。まだ取組の途上ということなのでしょうが、法テラスはこの分野でどの程度実効的なことができるのかよく分かりません。また、そのような取組を本気でできる弁護士が多数育成されているかというと首を捻るところです。

既に少なからぬ弁護士からそっぽを向かれている実情にあるようには感じられますが、法テラスの事業は多数の弁護士の協力を得なければ成り立ちません。そのことを、法テラスの本部はよく認識しなければならないでしょう。

 

地域的な傾向

北海道においては弁護士会が4会存在しますが、各会で法テラスへの姿勢も大きく異なるように思われます。

他会の例で恐縮ですが、そもそも札幌では地方事務所にスタッフ弁護士を配置しておりません。旭川ではスタッフ弁護士を配置したものの、地元からは色々な意見もあるようです。函館はいわゆる4号事務所を導入して弁護士過疎解消に法テラスを活用していると見受けられます。釧路は何とか宜しくやっているように思います。

このように、法テラスへの弁護士会の姿勢は各地域の事情にもより様々です。

小所帯の釧路では、弁護士会から出している所長や副所長が大変苦労してやっているのが他の会員からも良く見えるということもあって、法テラスの制度への不満は色々あるにせよ、地方事務所やスタッフ弁護士への対応は穏やかなように見えます。また、釧路では元会員が初代のスタッフ弁護士として赴任してきたり、弁護士会事務局から移った方が扶助の事務を担当してくれていたので、弁護士側の事情を分かっている人材に恵まれたという事情はありました。

 

まとめ

法テラスあるいは総本山から事務所に怪FAXが流れてきて、法テラスの予算が余ってるから是非代理援助で使って下さい、といったご案内を受けることがあります。

種々の不満はありながらも法テラスの事業を利用するのは依頼者のためです。法テラスの業務拡大の先兵を担うためではありません。

そこで、このようなものを見る度にいつも頭が沸いております。少し落ち着いた方が良いとは思っておりますが。

司法制度改革を批判したり、法テラスのあり方に文句をいうのも、所詮は狭い弁護士業界内部の話であって、コップの中の水をかき回している程度に過ぎないといった批判を受けることもあります。弁護士はもっと外の世界に向けて議論をしろ、という趣旨でしょう。それは確かにそうかもしれません。

しかし、コップの汚れがひどければ、それを磨いて綺麗にするということもまた、やるべきことの一つではあるのでしょう。そのうち扱いを間違えてコップを割って壊しそうな懸念もありますが、次の10年を見据えて、まだしばらくはそのように考えておこうとは思います。

 

 


  1. 法テラス概要より。http://www.houterasu.or.jp/houterasu_gaiyou/ 

  2. 平成24年度「犯罪被害者週間」国民のつどい中央大会での大谷實先生へのインタビューより。「私は1970年、つまり、昭和45年から46年にかけまして、イギリスのオックスフォードで補償制度の勉強をいたしました。イギリスでうまく行っているのだから、是非日本でも作らないといけないと思いまして、ジュリストという雑誌に、イギリス滞在中に3回の連載で論文を書きました。なんとしても日本にも作らないといけないというつもりで書いたのですけれども、ほとんど関心は払われず、無視されてしまいました。イギリスから帰って参りまして、今度は日本刑法学会で報告をいたしました。私がまだ36~37歳の頃です。そうしましたら、最近亡くなられた当時東大の教授で、後に最高裁の判事になられた団藤重光先生が、私の報告が終わると手をパッと挙げまして「大谷君、10年早いよ」と言われました。大変ショックでしたが、そう言われるのにはそれなりの理由がありまして、日本では被害者の問題を取り上げると、どうしても犯人サイドの人権が軽視されるのではないか。新しい刑事訴訟法ができて、被告人や被疑者の人権がようやく定着しつつあるのに、ここで被害者の人権を問題にすると、草の根を分けても犯人を捕まえろ、死刑にしてしまえというふうになって被疑者や被告人などの犯罪者側の人権がおろそかになるというわけです。」https://www.npa.go.jp/hanzaihigai/kou-kei/houkoku_h24/chuou_giji_interview.html 

「弁護士たった3万5000人で法治国家ですか」「数の問題ではない」

久保利英明先生が法律雑誌に連載されていた記事をまとめたもので、『弁護士たった3万5000人で法治国家ですか』(ILS出版、2015)という本があります。

なかなか刺激的なタイトルです。

久保利先生といえば企業法務を中心として多彩な活躍をされる弁護士界の第一人者ですから、そのお話となれば金を払ってでも耳を傾けてみなければならないでしょう。

ということで、アマゾンで出ていた118円の古本を早速ポチっとやって購入してみます。

 

軒弁は旭川会独特のシステム?

ところが初っ端からこんな記述を目にします。

最近の用語で軒弁、宅弁という表現がある。前者は経営弁護士(ボス弁とも言う)から執務場所の提供を受けるが固定給はなく、事件処理を委託された場合に一定の報酬を受ける執務弁護士について、「軒先を借りている弁護士」という意味でこう呼ぶそうである。かつては旭川弁護士会の独特のシステムであった。(15頁)

ええっ?と思っていたところ、これは当の旭川の会員からも違うんじゃないかという話が聞こえてきました。

最近は良く耳にする軒弁システムですが、道内で私が就職した2003年のころには、札幌で軒弁形態で就職した人が1人現れたのが大変珍しかったことでした。実際、私も就職活動のために旭川にある事務所を訪ねましたが、その時も「イソ弁」での待遇が示されてました。

それどころか、「待遇が応相談なんて書いてある事務所は止めておけ。金の条件もきちんと書けないような所では必ず問題が起こる。」と明快な助言をして下さった先生すら居られたので、旭川の方々には今も多少の恩義を感じています。

ということで、この時点で「こんな立派な先生でもテキトーなことを書くこともあるんだなあ…」という形で本の評価の大勢が決してしまいました。後は全力で流し読む意欲が沸いてきます。

 

司法制度改革への深い理解

何かと司法制度改革反対派からは槍玉に挙げられることが多い久保利先生ですが、司法制度改革によって生じた様々な問題点について、十分に理解されておられる様子は伝わってきます。

すなわち、法科大学院が開設された2004年頃には、今後すべての新卒弁護士が弁護士事務所に就職することは不可能であると予測されていた。だからこそ幅広い分野で活躍する多様な人材が求められたのである。その後の推移はその推論の正しさを実証している。(27頁)

全くそのとおりです。予測のとおりの事態が進行しています。

この1から3の対策が失敗し、法曹資格取得のためのコストと資格取得の利益や魅力のバランスが釣り合わなくなった場合は、マーケットメカニズムによって法曹志望者は減少し、ロースクールの整理統合は避けられず、司法試験合格者が減少するのも当然である。(56頁)

これは、末永進元札幌高等裁判所部総括判事が母校の函館ラ・サール高等学校同窓会に寄稿した「民事訴訟はなぜ時間がかかるのか」という記事に対する意見です。

1から3の対策というのは、大要、1法曹の多様性の確保、2適切な競争環境の創出、3法曹倫理教育の強化、です。

いずれも失敗した結果を的確に言い当てています。

仕事が増えても予算がないから人は増やせない。となれば、サービス残業か法テラス所属弁護士の過労死か。法テラスがコンプライアンス違反の巣窟となっては悪い冗談では済むまい。だから新政権(注:当時の民主党政権)にとっては法テラスに相応しい予算配分をすることが至上命題である。(63頁)

法テラスへの予算配分を強化する必要性があることについて良く理解を示されておられるのは、有り難いことです。

「法テラスがコンプライアンス違反の巣窟」というくだりには深い造詣が感じられ、思わず苦笑いさせられます。

法科大学院は法曹を法廷・訴訟活動という事後処理中心の狭隘な分野から解き放ち、経済活動や市民の日常生活で役に立つ、社会生活上の医師を大量増員するための仕掛けだったのである。

文部科学省が法科大学院を勧奨するならこの視点から弁護士活用策を講じるべきだった。しかし、教員の中核となる教員は旧態依然たる法学研究者であり、専門職である弁護士や裁判官など実務法曹による基礎科目授業は認められなかった。

法曹養成の要ともいうべき法科大学院を、一人の法曹も養成したことのなく、ポスドクと呼ばれる博士の活用もできず、企業の求める人材育成もできない文科省に任せたことが実施設計失敗の大きな原因である。(148頁)

司法制度改革失敗の戦犯探しをするのは見苦しい気もしないではないのですが、確かに、ここまでの失政をリードした文科省の責任は重大でしょう。

ただ、本書によると、かつて久保井日弁連会長は久保利先生に対し次のように仰っていたそうです。

予算をもぎ取る気持ちも能力もない最高裁事務総局よりは文科省の方が予算面ではずっと頼りになる。日弁連は文科省を徹頭徹尾支えるべきだ。(108頁)

そうしてみると、結果的には、毒まんじゅうを食ってしまったということなのでしょう。おそらく、毒が廻って死ぬのは彼らではなく未来の法曹なのですが。

確かにここ数年来、法科大学院の志望者が大幅に減少している。こうした事態を招いている最大の理由は、「司法試験の合格率が低すぎること」である。数百万円の費用と2年ないし3年の期間を投じても受験する試験の合格率が3割にも満たないような制度にしておいて、「法曹を目指せ」という方が無理なのである。(227頁)

司法試験の合格率が低すぎることが最大の理由かどうかは、異論があります。

ただ、後段については、「司法修習給費制の復活を求める」という記事に書いたように、僭越ながら当職も同じことを10年以上前からいってました。今から法曹を目指せというのが無理筋だというのは、これだけ立派な先生だったら分かっていないわけはありません。

 

法曹はどうあるべきか

司法制度改革は大きな社会問題をもたらしてはいないのでしょうか。

まずは、自分の足元を見て、正面から問い直してみるべきです。

かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性のある法曹であれば、あるいは、社会に生起する様々な問題に対して広い関心を持っている法曹であれば、社会に生起する問題を直視して、実際に社会への貢献を行うのは当然のことです。

そういう法曹は次々と養成されているはずなんですが、あれっおかしいなあ、いやおかしいのは私の方なのかしら、そうだなきっと人間性を欠いた私がおかしいのだろう、と在野の一法曹として日々苦悩しています。

 

まとめ

そんなわけで、強引に読後感をまとめておきますと、弁護士を幾ら増やしたからって法治国家(実質的な意味の)はそう簡単に実現する訳じゃないだろうな、という感想を持ちました。

もはや数の問題で何とかなるものではないように見えます。

それでもなお、「社会生活上の医師」を僭称して、衰弱し切った患者に負担の強い外科手術をむりやり勧めるが如き一団が世の中には存在しているようです。

当職は、文句も程々に自分の能力や資質を高めることにして、せいぜい社会生活上の医師の不養生などとはいわれないよう努めたいと思います。

 

 

平成28年司法試験の結果について

今年も司法試験の合格発表の時期を迎えました。

例によって、前年までにグラフ化していたものに今年のデータを付け加えてみます(データは法務省の公表した資料によっています。)。

 

受験者数及び合格者数等について

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今年は、昨年に比べて受験者数が大幅に減少しています(8016人→6899人、13.9%減)。

そして、新司法試験開始初年の平成18年を除けば、合格者数も最低となり、遂に合格者1500人台ということになってしまいました(1583人)。

 

合格率等について

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受験者数に対する合格者数の割合は、過去2番目に低い割合ということになりました(22.95%)。

法科大学院ができたころは7?8割程度の合格率!と言われていたような気がしますが、現時点では4.36人に1人合格する程度ということになります。割合だけ見ればなかなかのギャンブルです。

また、総合評価対象者数に対する合格者数の割合は、過去最低となりました(35.89%)。

総合評価対象者数が少なくなればこの割合は高くなっても良いはずですが(総合評価対象者数は過去2番目に少ない4411人)、そうなっていません。

 

検討

以上、ひとまず今年のデータを入れて推移をグラフ化してみました。

注目すべき指標は次のようなところにあるかと思います。

  • 受験者が減少(前年比13.9%減)
  • 合格者も減少(前年比14.4%減)
  • 受験者平均点と合格点最低点は共に上昇
  • 合格率はここ3年横這い

今年は合格者が1500人台になるという大きな変化が生じていますが、こうしてみると、その要因は結局受験者数が減ったということに尽きると思われます。極めて月並みな分析に過ぎませんが…。

先に述べたとおり、新司法試験制度導入時の合格率の目標は7?8割といわれていましたが、この数字は一度も達成できないまま、結局、近年の合格率は概ね20%台前半のあたりで低迷しています。そのようなことになった原因が、一部の司法改革反対派の弁護士が増員にうるさいからなのか、それ以上の割合では合格させられるレベルに受験者が達していないということなのか、よく分かりません。

ただ、法科大学院入学者数の動向からすると、今後は司法試験受験者数の増加は見込めない状況ですから、司法試験合格者数がこれ以上増えそうな雰囲気は感じられません。

このような状況に対して言いたいことは尽きないので無理矢理まとめますが、一言で言えば、色々と複雑な思いであるという他ありません。

 

 

労働審判手続でもテレビ会議を利用できます

釧路地方裁判所本庁

釧路地方裁判所本庁

釧路地裁本庁からお知らせがありました。

お知らせの趣旨としては、帯広支部ではテレビ会議システムを釧路本庁との間で利用することが可能であるから、労働審判についてもこれを活用してはどうか、ということでした。

帯広から釧路までへの距離は120キロありますから、移動の手間が無くなるメリットはあります。

 

労働審判でテレビ会議は使えるの?

使えるようです1

ただし、現状では、テレビ会議システムを設置してある裁判所は、各地裁本庁と、その一部の支部等に限られています2

テレビ会議のシステムが当地の支部でも稼働しているということはこれまで頭になかったので、早くご案内していただければ良かったなあという気もしないではありません3

ただ、労働審判の手続の実際からすると、期日を全部テレビ会議で済ますというのはどうか、という議論は当然ありうるところかと思います。労働審判では一回目の期日で証拠調べをできるだけやってしまうという運用が通例かと思いますし 、事案によってはテレビ会議だとやりずらい、ということはあるかもしれません。

 

支部機能の拡充

一方では、テレビ会議の利用が進むことで、支部機能の拡充の方向性からは逆行するのではないかとの懸念も、帯広の会員としては否定しがたいところではあります。

ただ、この点も、帯広支部に労働審判を誘致を出来なかった理由としては件数が少なすぎるという点があるようにも思いましたので、移動の負担が減って労働審判の利用がしやすくなるということであれば、それは歓迎した上で実績を作っていくという方向性もあるのかもしれません。

いずれにしても、手続が使いやすくなることで利用実績が増えることには期待したいと思います。

 

 


  1. 裁判所からのお知らせには根拠条文は書かれていなかったので検討してみると、まず、労働審判法29条1項で準用される非訟事件手続法47条1項により証拠調べ以外の手続は音声の送受信による方法によって行うことが可能である。そして、同じく労働審判法17条2項により証拠調べは民事訴訟法の例によるとされているから、同法204条、同210条、同215条の3により、映像と音声の送受信による方法での証人尋問・当事者尋問・鑑定人の意見陳述は可能である。 

  2. 平成28年1月末時点で設置してある本庁以外の裁判所は、立川、小田原、熊谷、松戸、土浦、下妻、足利、沼津、浜松、松本、長岡、東京簡裁墨田庁舎、堺、姫路、葛城、岡崎、四日市、福山、津山、久留米、小倉、佐世保、延岡、郡山、いわき、八戸、帯広、西条とのことである。 

  3. 平成28年3月の裁判所の広報資料にはテレビ会議の案内がある。(PDF)http://www.courts.go.jp/vcms_lf/H2803kouhou.pdf 

行政活動とのかかわり(8)まとめ

昨今の弁護士業界を取り巻く環境についての認識は様々ですが、中には極めてアヴァンギャルドな意見を目にすることもあります1

弁護士業界の困難は、多くの中小企業の経営や国民生活が困難になっていることの反映であるとともに、この業界が狭い国内の訴訟業務にだけ目を向け、より広範な企業や団体、国民に法的サービスを提供しようとする努力を怠ってきたことに主たる原因があります。
(中略)
元気な若手弁護士の姿がこれまで弁護士がいなかった地域や企業、団体に広がり、さらには海外へと広がっていけば、さらに多くの若者や様々な分野の経験者がロースクールを目指します。今の縮小的動きから、拡大再生産の波が起こります。

なるほどそうですよね!!

元気な若手弁護士である私2も、これまで弁護士がいなかった地域や企業、団体で、「社会の隅々まで法の支配」を普及発展させるべく日々試行錯誤しています。

これまで取り上げてきた行政活動へのかかわりもその一環です3

 

Spread the rule of law to every corner of our society!







 

Catch big waves of the judicial system revolution!

以上、司法制度改革のビッグウェーブ来たぜ!日本の津々浦々に拡大再生産の波到来!とまとめておくことができるでしょう4

このところ、弁護士の魅力を発信する取り組みを全国展開しよう!と日弁連は力を入れています。大変結構なことだと思います。

それなら私もできるだけのことはしなければなりません。

とはいえ、私ができるとすれば、まずは、できるだけ公益的な活動も実際にやってみて、そうした活動の存在を広く知っていただくようにすることでしょうか。そして、これからこの道を目指す方々には、そのような活動の意義と課題を過不足なく認識していただきたいと願っています5。その上で志願してくれる方が増えるのであれば大いに歓迎すべきことです6

今後も、弁護士の魅力は何かということを私なりに伝えていきたいと思いますが、多少なりとも何か役に立つようなことがあれば喜ばしいことです。

 

 


  1. 「ロースクールと法曹の未来を創る会」設立趣旨・活動方針 

  2. 「若手」の定義については争いあるも、主観説を相当と解する。 

  3. もちろん、それ以外にも、書類の煩雑さに頭を抱えながら法テラスの事件を受け、扶助審査を担当し、国選事件もやって、地場の中小企業に顔を広める努力をして、そして種々雑多な会務に追われている。いや、そんなの私だけではなく、どこの弁護士でも概ねそういうものだろう。 

  4. 頭を冷やした方がよいだろう。 

  5. 無論、弁護士の業界に対する現状認識は人それぞれであろうし、様々な意見があって然るべきことではあるが、自業界へ人材を誘導しようとする余り、必要以上に未来への幻想を振りまいたり、現状を過剰に盛って表現したりすることは、慎むべきことである。そのような行動は弁護士に対する社会の信頼を益々損なうものとなりはしないのであろうか。 

  6. 付言すると、収入の問題は非常にセンシティブで、儲かっていると公表すればやっかみを受けるし、稼げないと公表すれば信用に関わる、といった理由によりいずれにしても表に出にくい。今後、ロースクール進学や司法試験受験を目指す人は、統計資料を活用したり、先輩方に実情を率直に尋ねることで、現状を冷静に把握して志望の可否を決断するのがよいと思われる。 

司法書士の代理権に関する最高裁平成28年6月27日判決の衝撃

最高裁判所の裏側

近年は、司法書士に簡裁代理権が付与されたことを背景に、債務整理の分野にも司法書士が進出して、過払金を交渉して取り返すということも見られるようになりました1

ただ、訴訟外での司法書士の代理権は、紛争の目的の価額が140万円を超えない範囲に制限されています2。この範囲については解釈の争いがあったのですが、この度、最高裁判所が判決を出しました3

代理することができる民事に関する紛争も、簡裁民事訴訟手続におけるのと同一の範囲内のものと解すべきである。また、複数の債権を対象とする債務整理の場合であっても、通常、債権ごとに争いの内容や解決の方法が異なるし、最終的には個別の債権の給付を求める訴訟手続が想定されるといえることなどに照らせば、裁判外の和解について認定司法書士が代理することができる範囲は、個別の債権ごとの価額を基準として定められるべきものといえる。

すなわち、司法書士が債務整理を取り扱うときは、個別の債権毎に140万を超えないかどうか検討せよ、ということになります。

この判決、自分にはそんなに具体的な影響はないんだろうな、と思って見ていたところでした。

もっとも、これまでにはこの基準を超えて司法書士が債務整理を扱うことが一部にはあったようにも聞きますので、実際上は色々と影響があるように思えてきたところです。

 

司法書士への影響

取り扱える範囲を超えていた事案については、以前行った債務整理の報酬を返せ、という問題が発生します。

ただ、これは、蒸し返されるかどうかはお客さんの考え方次第とは思います。早速、焚き付けている弁護士もいるように見受けられるのですが…。

問題は適当な内容で和解していた場合でしょうか。元々、取り扱う権限がないのであれば報酬の根拠も欠くわけですから、吐き出すべきであるということになってもやむを得ないのでしょう。

もっとも、司法書士からお金を取り返すとなると、もらった報酬は既に事務所の経費に使っちゃってるといった理由により(例えば広告をガンガン出してたりすればすぐ無くなります)、賠償資力の問題が発生する場合もあるように思います。そうすると、戦々恐々としている事務所もあるかもしれません。

 

貸金業者への影響

これは直ちに何か問題が生じたりするんだろうか、とは思ってました。

ただ、弁護士法72条に反する私法上の行為は公序良俗に反して無効だ、という考え方はあるところです4

そうすると、140万円を超える請求権の発生する事案で司法書士が関与して行った和解は、たとえ形式的には本人にハンコを押させたからといっても無効とされる余地が出て来るような気もします。

さあ、そうなると、和解無効を理由として紛争が蒸し返されることはあり得るんじゃないでしょうか。貸金業者はたまったもんではありません。

特に、債務整理に関与した司法書士が適当な和解をしていたということだと、蒸し返されても仕方がない理由があります。本来の請求額はもっと多い!という主張を封ぜられず過払い紛争が仕切り直し、という事態も予想されます。

ということで、実は、過払い返還ラッシュが落ち着いてきた貸金業者に影響が飛び火しそうな予感もないわけではありません。

 

まとめ

無論、法律上認められている権限の範囲で業務を行うことは許容されることですが、過払いバブルに悪乗りしてしまった一部の司法書士は、結果的には無理をし過ぎてしまったのではないかな、という感はあります。

また、貸金業者も、司法書士の業務範囲の制限に見て見ぬふりをして有利な和解をしていたのであれば、やっぱりそれは良くないよね、ということにならざるを得ないでしょう。

何が正しい解釈となるのか予測するのは難しいこともあります。そこで、今更言っても後出しジャンケンみたいな感もありますが、皆それぞれ堅めの解釈に基づいて振る舞うべきではなかったか、とは思います。

 

 


  1. なお、本文中の「司法書士」は、司法書士法3条2項に定めるところのいわゆる認定司法書士のことを指す。 

  2. 司法書士法3条1項7号裁判所法33条1項1号 

  3. 最高裁判所平成28年6月27日第一小法廷判決 

  4. 最高裁判所昭和38年6月13日第一小法廷判決。但し、この判例は第三者との関係で締結した契約の効力まで射程に入っているのか、という問題はある。 

城跡と裁判所(19)那覇地方裁判所名護支部

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沖縄本島には那覇地方裁判所本庁のほか、沖縄市と名護市に地裁支部があります。ここ名護支部は沖縄本島の北側と離島を管轄する裁判所です。

その管轄地域の面積では本島の3分の2程度を占めていますが、管轄人口は12万人強で本島全体の10分の1くらいですから、都会化著しい那覇周辺と比べると過疎の進んでいる地域のように見えます。

 

さて、名護市内にも城跡はありますが、範囲を拡げて管轄区域内の城跡について触れたいと思います。もはや城跡と裁判所の関連性は全くないので、単に見に行ったというだけでしかありませんが。

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本部半島の北側、今帰仁村(なきじんそん)の山中に今帰仁城跡があります。

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今帰仁城は15世紀に琉球統一がなされるまで北山の中心として栄えていましたが、その後17世紀に薩摩の侵攻を受けて城自体は廃れてしまったようです。しかし、今も巨大な城郭は残存しており、眼下に海が広がる壮大な光景を眺めることができます。

 

うちから2000キロ以上も離れた場所で同じ法制度が通用していることは、それほど当たり前には思われません。

さすがに、名護の裁判所に用があったことはないですが、法務局に何か用があって郵送で手続をした記憶はあります。その時に、同一の法制度が遠くの地で通用していることの有り難みを感じたものです。

そうしてみると、国が統合されて同じ法制度が通用する地域が広いほど人の活動を容易にはしてくれます。ただ、この名護支部の管轄している本島北部地域は、振興策は色々と打ち出される一方で、基地の問題が色濃く陰を落としており、くまなく見て回っていると、特に昨今はその統合が揺らいではいないのだろうか、という懸念を感じます。

以上、見どころも少なくない沖縄本島北部に足を運ぶこともあるのですが、行く度に思うことは尽きないところです。

 

 

城跡と裁判所(18)那覇地方裁判所・福岡高等裁判所那覇支部

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沖縄県の中心都市である那覇市は人口32万を超え、人口規模で例えれば埼玉県の越谷市と概ね同じくらいということになります(比較の必然性は全くありませんが、昔、越谷在住の高校の国語科の先生がそのような例えをしていたというだけです。)。

那覇市には那覇地方裁判所本庁及び福岡高等裁判所那覇支部が置かれています。

ところで、この裁判所が日本国憲法の下で司法権を行使する機能を果たすようになったのは、1972年5月15日に本土復帰して以降のことです。

つまり、本土に比べて四半世紀ほど日が浅いというわけで、そのような意味では特殊な成り立ちを持つ裁判所です。

 

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さて、裁判所のある一角からは離れて、かつての琉球王府であった首里城跡があります。

昔の城跡は沖縄戦で破壊し尽くされてしまいましたから、現在あるのは復元によるものです。しかし、城跡に行ってみれば、建物も石垣も本土にある城とは全く違う様子であることは一見して分かります。

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沖縄は本土とは大きく異なる歴史的・文化的な背景を持つ地域ですが、様々な軋轢を経ながら現在の日本国としての国家的な統合が果たされてきました。

ただ、沖縄からの視点で日本あるいは世界の歴史を眺めてみた場合には、そのような統合がなされている状態はそんなに当たり前のことなのであろうか、とも思えてきます。

果たして、日本国憲法の掲げる様々な理念はこの地で血肉化しているのかどうかと問い直してみると、なお多くの課題に突き当たりますし、それだけに、この地における司法の役割は他にも増して重いように感じられてなりません。

 

 

行政活動とのかかわり(2)児童相談所

児童相談所に弁護士を配置する方針を厚生労働省が固めたということのようで、先日の日弁連の臨時総会で最後に挨拶した会長がそのようなアピールをしていました。

これに対して、私の後ろの方から何かヤジを飛ばした人がいたみたいなんですが、確かに、日弁連が手柄としてアピールするような話なのかという気がしないではありません。

さて、既に多くの地域で児童相談所の活動に弁護士が関与する仕組みは整えられてきており、実は当職も帯広の児童相談所からの委嘱を受けて、児童虐待対応プロジェクトチームの専門委員を長らくやっています。

ただ、どのような形で弁護士が関与しているのかという点については、余り知られていないように感じることがしばしばありましたので、少しご紹介したいと思います。

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何をやっているのか

児童相談所で判断に悩む事案に関してはプロジェクト会議が開かれており、児童相談所の職員と医師(例えば、産婦人科医・小児科医・精神科医など)及び弁護士が協議して方針を決めています。これは、問題が発生すれば随時行われます。

問題となることが多いのは、児童相談所長の採る措置のうちでも、児童の一時保護を行うことや(児童福祉法33条)、保護者の意思に反して児童を施設に入所させること(同法28条1項1号、27条1項3号)です。

保護者の同意があれば良いのですが、合理的な理由もなく児童の一時保護や施設入所を拒絶されることはあります。その場合にも児童相談所の判断で子供を保護者から引き離せるかという問題があります。

親子関係を引き離すわけですからその性質としては重大な措置です。

ですから、児童相談所の職員は、これらの措置を取るに当たって慎重に気を遣っているように見えます。

その場合にゴーサインを出しても問題ないかどうか、ということを主に協議することになります。

医師の先生方は専ら医学的な観点から、弁護士は専ら法的な観点からの指摘を行います。特に、保護者側から不服申立がなされても耐えられるかといった点は事案に即して見ていく感じになります。冷静な判断は必要ですが、根拠があれば可能な限りの対応を促すこともあります。

また、児童相談所の調査能力は高いのですが、裁判所の判断の仕方については必ずしも慣れていないように見えることもあります。そのため、裁判所が関与する手続1に入った場合には、どのような主張をして、どのような証拠を集めたらよいか、という観点から助言を行うこともあります。こういった助言ができるのは、司法修習で裁判所の判断の仕方もきちんと見てきた(はずの)弁護士ならではのことだと思います。

 

感想

ということで、児童相談所の業務に弁護士が関わること自体は、非常に意味のあることです。今後、弁護士を常置させるということが実現すれば、児童相談所の職員が権限行使に当たって日々悩んでいる点について迅速な対応ができるようになるという意味も大きいでしょう。

ただ、弁護士の業務拡大という文脈でこれを語られることについては、率直なところ違和感を覚えております。目立って業務が拡大するというイメージでもないとは思います。

児童相談所の権限行使が適正になされるようにすることは、子供に関する問題についてより適正な扱いがなされるということでもありますから、意義のある仕事です。関係者の基本的人権への配慮を行いつつ行政活動の実効性を確保するという難しいバランスの舵取りについて、今後も弁護士が関わっていくことは大切であると思います。

 

 


  1. 例えば、家庭裁判所による承認(児童福祉法28条1項1号)がある。