城跡と裁判所(23)松山地方裁判所宇和島支部

宇和島城は天守閣が現存する12の城の一つです。

そんなに大きな天守閣ではないのですが、昔のものが残っているという点で見るべき価値は十分にあります。

何でまた仙台から遠く離れたこの地へ来たのかという気もするのですが、伊達政宗の子が入って以来、宇和島藩は伊達家が代々治めていました。城下にある伊達博物館に行ってみると、そのあたりの経緯を確認することができます。

 

宇和島の裁判所

宇和島の裁判所に行ってみました。

伊達博物館の玄関ホールに描かれている昔の地図では、かつての裁判所は城の近所に存在していたことが分かります。ただ、現在の裁判所は移転しており、宇和島駅に隣接して存在しています。

駅から近いのはいいんですが、そもそも宇和島駅は行き止まりで四国の鉄道網の一端をなしていますから、松山からでも行くのは結構大変そうです。

 

銅像になった人

さて、宇和島城に戻ってみると、城下には著名な人の銅像が存在しています。

これは、護法の人とも呼ばれた児島惟謙です。

大津事件での活躍が良く知られていますが、それ以外にも関西大学の設立に貢献するという大きな功績を残しています。その縁で関西大学にも銅像があると聞いたことがあります(残念ながら見たことはないのですが)。

 

橋になった人

次は、銅像にならなかった人の話です。

「老生は銅像にて仰かるるより萬人の渡らるる橋になりたし」とあります。

民法起草者の一人である穂積陳重が語ったとされています。それで、功績を称えるべく、穂積橋という名前の橋が宇和島市内には架けられています。

銅像なんかになるよりも人に踏まれる方がよいというのですから、やはり、昔の偉大な法学者は考えることが普通ではありませんね。当職も、人々に踏まれ続けてもなお輝き続ける阪急梅田駅のホームの床のような存在でありたいと願っています。

 

鯛めし

営業時間の都合で行けなかったのですが、橋の右手に映っているお店はこの地方の名物である「鯛めし」の名店として知られているようです。

宇和島の鯛めしは、鯛の刺身が乗った飯の上から出汁を掛けて食べるというスタイルであり、するすると食べられてしまうので大変危険です(美味しい)。

 

まとめ

以上、宇和島は、お城の天守閣を見に行くだけでも十分に価値があるのですが、法律家には馴染みの深い先人たちの痕跡も残っていますので、法学マニアな向きには実に興味深い地であるということを思いました。

 

 

城跡と裁判所(22)犬山簡易裁判所

天守閣が現存する日本の城は12あるといわれていますが、福井の丸岡城を除けば、いずれの城のある街にも裁判所があります。

犬山城のある犬山市にも簡易裁判所があります。

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よく見かける感じの簡裁の庁舎ですが、犬山簡裁の管轄区域(犬山市・江南市・岩倉市・丹羽郡)の人口は27万人余りということですから人口は少なくはありません。

現在の裁判所は城跡の近くではなく、駅前にあります。昔はやはり城の前にあったようなのですが、今では駅から近くて便利な立地です。

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犬山城に行ってみることにします。

天守閣の建物としては大きくない気がしましたが、貴重な現存天守ということですから見るべき価値は十分にあります。この建物、ちょっと前までは当主が個人で所有していたとのことで驚きです。

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このとおり、犬山城は木曽川を背後に築城されており、いかにも要衝にあることが分かります。あいにくの曇り空の中ではありましたが、眺めの良さは十分に感じました。

 

 

城跡と裁判所(21)名古屋高等裁判所

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市政資料館

名古屋というと、偉大なる田舎とか日本一つまらない街だとか何かとひどいいわれ方をされているのを聞いたりすることもあるのですが、私から見れば超絶的都会です。久々に名古屋駅に降り立った私はその益々の発展振りにめまいを感じました。

名古屋の現在の裁判所も、名古屋城のそばにあります。

もっとも、名古屋の一番の見どころは旧名古屋控訴院の建物を活用した市政資料館にあると思われますので、今回はこの資料館を中心にご紹介したいと思います。

この資料館は、裁判に関する展示がかなり充実しています。

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明治憲法下の刑事法廷

明治憲法下の刑事法廷です。法壇の上に5人いますが、これは向かって左から検事、判事3人と裁判所書記という構成です。検事が判事と一緒に法壇にいる形になっており、糾問的な訴訟構造を見ることができます1

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陪審法廷

戦前の陪審法廷です。戦前の一時期には陪審制が採用されていたことがあり、そのころの法廷の再現ということになります2。検事席は法壇に向かって左側に分離しています。

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日本国憲法下の刑事法廷

日本国憲法下の刑事法廷の再現です。検察官と弁護人が向き合う形となり、いわゆる当事者主義的構造が法廷にも反映されていると見ることができるということになるでしょうか。

こうして見ると、法廷のあり方の変遷が良く見て取れますので、大変勉強になります。

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控訴院会議室

これは控訴院の会議室ですが、随分と優雅な雰囲気です。

 

ということで、「市政」資料館という名前に気を取られて、どうせ名古屋の市政なんか勉強しても面白くないと思っていたら大変な間違いで、見どころ十分な資料館でした(しかも入場無料です)。このような形で裁判の歴史をしっかり辿ることができるように整備しているとは、名古屋市もなかなかのものです。

この資料館は名古屋城の近くにありますので、お城のみならずこちらを見学するのも大変お薦めです。

 

 


  1. 裁判所構成法の下における法廷については、園尾隆司『民事訴訟・執行・破産の近現代史』(2009、弘文堂)231頁以下に詳しい解説がある。 

  2. 陪審法の制定と陪審法廷については、前掲260頁以下に詳しい解説がある。 

城跡と裁判所(20)さいたま地方裁判所熊谷支部

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熊谷直実像

ああ、武士ほどつらいものはない。武芸の家に生まれなかったなら、このように残酷なまねはしないですんだものを。功名手柄などはなんになろう。いくさに勝った負けたとさわぐなど、ばかばかしいにもほどがある。ああ、むごいことをしたものだ。残念なことをしたものだ1

ああ、弁護士ほどつらいものは…ということではありませんが、熊谷駅前には、扇を掲げて平敦盛を呼び止める熊谷直実の像が立っています。己の運命を嘆きつつ泣く泣く敦盛を討ち取るこの場面、平家物語の中でも最大の見せ場のように個人的には思います。

ということで、あえて夏真っ盛りの8月に埼玉の熊谷を訪ねてみます。

 

熊谷の裁判所

熊谷といえば、既に「灼熱の熊谷支部決死の千里行」という極めて秀逸なルポルタージュが存在しますので、私如きが付け加えることは多くありません。

そこで何故熊谷かということなんですが、それは私の実家のあたりを管轄する裁判所があるからなんですね。しかし、熊谷の裁判所を見たのは今回初めてです。

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さいたま地方裁判所熊谷支部

 

埼玉の城下町

熊谷の市街地は近世に中山道の宿場町として発展をしていったところなので城があるわけではなく、近隣の城を見に行ってみます。

隣の行田市は忍城の城下町として発展した街です。

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忍城趾

忍城、最近では「のぼうの城」という映画や大河ドラマの「真田丸」でも出てきました。石田三成が大規模な水攻めを図ろうとしたものの攻め切れなかった城です。

行田には城跡だけではなく立派な古墳群もありますので、是非、観光に訪れて十万石まんじゅうを買って帰りましょう。

 

比企地区の司法事情

さて、この地域から離れて20年余りが経ちましたが、比企地区の司法事情についても気にならないわけではないところです。

比企地区の中心地は東松山市ですが、裁判所はありません。東松山市及び比企郡の各自治体の裁判所管轄の関係は、下の地図のようになっています。

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熊谷 秩父郡に属するが熊谷 川越 簡裁・家裁は飯能、地裁は川越

比企地区の多くの場所は熊谷支部の管轄ですが、川島町は簡裁・地裁共に川越、鳩山町は簡裁と家裁出張所が飯能(これまた行くの面倒そう)、地裁が川越支部の管轄ということになっていて、バラバラです。ついでに、秩父郡東秩父村は秩父支部ではなく熊谷支部の管轄です(秩父市へは山越えになる)。

私が居たのは吉見町という国道も鉄道も走ってない町でしたので、家から梨畑2の中を抜けて国道端にあるバス停まで行き、バスに乗って熊谷へ出ることもあったのですが、この地域から熊谷へのアクセスは良くないです。地元の人は車で移動することが多いとは思いますが、例えばバスであれば東松山駅からだと熊谷まで40分くらい掛かるでしょうか。

こうしてみると、このあたりは東京からの距離でいえば50キロ内外の場所ながら相変わらずの不便ぶりだなあ、という気がしてきます。ただ、私が居たころはどこに弁護士がいるのか良く分かりませんでしたが、最近はこの地区も弁護士は増えているようですから、時代は変わったものです。

便利に見える関東地方ですが、よく見てみると、それなりに人口のいる地域に裁判所がなかったり、一方で警察は点在しているところもあり、実は場所によっては弁護士が活動するのは大変そうな気がします。その厳しさからすると、坂東武者を育んだ風土今も在り、というところでしょうか。

 

 


  1. 長野甞一『平家物語』192頁(ポプラ社、1965) 

  2. 東松山市の東平は知る人ぞ知る梨の産地で、以前、ここの梨に「さいむ梨」という名前を付けて配った某法律事務所があった。東平の梨をアピールしていただいたのは大変宜しいのだが…。 

城跡と裁判所(19)那覇地方裁判所名護支部

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沖縄本島には那覇地方裁判所本庁のほか、沖縄市と名護市に地裁支部があります。ここ名護支部は沖縄本島の北側と離島を管轄する裁判所です。

その管轄地域の面積では本島の3分の2程度を占めていますが、管轄人口は12万人強で本島全体の10分の1くらいですから、都会化著しい那覇周辺と比べると過疎の進んでいる地域のように見えます。

 

さて、名護市内にも城跡はありますが、範囲を拡げて管轄区域内の城跡について触れたいと思います。もはや城跡と裁判所の関連性は全くないので、単に見に行ったというだけでしかありませんが。

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本部半島の北側、今帰仁村(なきじんそん)の山中に今帰仁城跡があります。

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今帰仁城は15世紀に琉球統一がなされるまで北山の中心として栄えていましたが、その後17世紀に薩摩の侵攻を受けて城自体は廃れてしまったようです。しかし、今も巨大な城郭は残存しており、眼下に海が広がる壮大な光景を眺めることができます。

 

うちから2000キロ以上も離れた場所で同じ法制度が通用していることは、それほど当たり前には思われません。

さすがに、名護の裁判所に用があったことはないですが、法務局に何か用があって郵送で手続をした記憶はあります。その時に、同一の法制度が遠くの地で通用していることの有り難みを感じたものです。

そうしてみると、国が統合されて同じ法制度が通用する地域が広いほど人の活動を容易にはしてくれます。ただ、この名護支部の管轄している本島北部地域は、振興策は色々と打ち出される一方で、基地の問題が色濃く陰を落としており、くまなく見て回っていると、特に昨今はその統合が揺らいではいないのだろうか、という懸念を感じます。

以上、見どころも少なくない沖縄本島北部に足を運ぶこともあるのですが、行く度に思うことは尽きないところです。

 

 

城跡と裁判所(18)那覇地方裁判所・福岡高等裁判所那覇支部

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沖縄県の中心都市である那覇市は人口32万を超え、人口規模で例えれば埼玉県の越谷市と概ね同じくらいということになります(比較の必然性は全くありませんが、昔、越谷在住の高校の国語科の先生がそのような例えをしていたというだけです。)。

那覇市には那覇地方裁判所本庁及び福岡高等裁判所那覇支部が置かれています。

ところで、この裁判所が日本国憲法の下で司法権を行使する機能を果たすようになったのは、1972年5月15日に本土復帰して以降のことです。

つまり、本土に比べて四半世紀ほど日が浅いというわけで、そのような意味では特殊な成り立ちを持つ裁判所です。

 

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さて、裁判所のある一角からは離れて、かつての琉球王府であった首里城跡があります。

昔の城跡は沖縄戦で破壊し尽くされてしまいましたから、現在あるのは復元によるものです。しかし、城跡に行ってみれば、建物も石垣も本土にある城とは全く違う様子であることは一見して分かります。

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沖縄は本土とは大きく異なる歴史的・文化的な背景を持つ地域ですが、様々な軋轢を経ながら現在の日本国としての国家的な統合が果たされてきました。

ただ、沖縄からの視点で日本あるいは世界の歴史を眺めてみた場合には、そのような統合がなされている状態はそんなに当たり前のことなのであろうか、とも思えてきます。

果たして、日本国憲法の掲げる様々な理念はこの地で血肉化しているのかどうかと問い直してみると、なお多くの課題に突き当たりますし、それだけに、この地における司法の役割は他にも増して重いように感じられてなりません。

 

 

城跡と裁判所(17)仙台高等裁判所

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北海道内でも札幌以外の場所から東北地方へ行くには不便ですが、帰省その他と何かと用があって、年に何度かは仙台に行き来します。仙台といえば、やはり伊達政宗でしょうか。青葉城跡には政宗像が建立されています。

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青葉城跡に登って仙台市街を見渡してみます。今や仙台市の人口は周辺部との合併を経て100万人を超え、東北地方の中枢をなす大変な大都市となってしまっています。そして、先の震災により、更に人が集中するようになったような雰囲気を近年強く感じます。

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青葉城の二の丸の跡地は、現在は東北大学川内キャンパスとなっており、東北大学の文学部や法学部が所在しています。城跡の敷地が大学になっているとは、大変良好な勉学環境のように思えてうらやましいです。

 

もはや城跡と裁判所の関係が相当希薄な記事になってきましたが、最後に、仙台高等裁判所・仙台地方裁判所の庁舎をご案内します。

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東北地方に仕事で行くことはたまにあるのですが、何故か宮城県に仕事で来たことはありません。仙台市内を観光する循環バスに乗っていると、裁判所の辺りで「この付近一帯はかつて武家屋敷となっていました。」とアナウンスしていましたので、元々、そのような立地であったようです。

それにしても、仙台市内の土産物屋に行ってみると、どこへ行ってもいまだに政宗グッズが大量に並んでいて商売が成り立っているようですので、かつての「独眼竜政宗」での渡辺謙さんの印象の強さをいまだに思い出すと共に、400年の時を超えて存在感を示す伊達政宗の偉大さを感じます。

 

 

城跡と裁判所(16)函館地方裁判所

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北海道には数少ない近世の城郭跡の中でも、おそらく最大の規模を誇るのが函館にある五稜郭です。もっとも、幕末に奉行所を移転するために建設されながらも、すぐに戊辰戦争の舞台となってしまい、奉行所として使われた期間は僅かなものでした。

地面からは形がよく分かりませんが、隣接する五稜郭タワーに上ると、特徴的な星形の堀割をはっきり観察することができます。

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函館地方裁判所の庁舎です。五稜郭からは少々離れて旧市街地に近い方に位置しています。函館は、これまで北海道の開発の入り口となってきた歴史のある街ですが、函館の裁判所も司法裁判所として北海道内では一番古い歴史があります。

ところで、函館にはかつて札幌高等裁判所の支部がありました。函館支部を廃止するという話が出た際、函館の弁護士は猛反対をしました。ところが、札幌の弁護士は反対しなかったため、当時の函館弁護士会は、脱退してどこへ行こうとしたのかは分かりませんが、北海道弁護士会連合会を脱退しようとしたことまであったようです。

後にこのような評価がなされています。

しかし、道弁連に属する四弁護士会内最大の札幌弁護士会が廃止反対に積極的でないことはその後の道弁連の取り組みも不十分なものとし、札幌高裁函館支部は昭和四六年に廃止された。自己の職業上の利益のみを考えた札幌弁護士会の活動が結局は国民の裁判を受ける権利の行使を困難にさせた一事例と言えよう。1

もちろん、今でこそ、北海道弁護士会連合会に所属する4つの単位会は協力しながら活動していますし、特に、札幌弁護士会には他会の過疎地域での活動にも積極的に貢献して頂いているような時代です。今年は釧路弁護士会が民暴大会を主催しますが、これも札幌の先生方の多大な協力を頂いて開催にまで漕ぎ着けています。まさに、隔世の感があるといったところでしょうか。

 

 


  1. 北海道弁護士会連合会『道弁連五十年の歩み』21頁 

砂川事件と裁判所

立川基地の跡地

いまさら感の漂う議論ではあるのですが、最近、ある最高裁判例の評価を巡って大きな議論が沸き起こっています。

砂川事件ですね。

砂川事件は、基地拡張に反対する運動をしていた人たちが米軍立川基地内に踏み込んだということで裁判になった、という事件でした。

ところで、立川基地の跡地は非常に広大ですが、その一角が今どうなっているかというと、こんな建物が建っています。

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東京地方裁判所立川支部です。

東京の多摩地方を管轄する支部は以前は八王子市にありましたが、現在では立川市に移転しています。支部とは思えない巨大な裁判所庁舎です。

 

事件現場の今

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さて、砂川事件の現場は、一審判決の判決文によると立川基地北側のフェンス付近です。

自衛隊の立川駐屯地となった現在も、そのあたりからフェンス越しに滑走路が見えますが、かつてはこの真上を飛行機がビュンビュン飛んでいたようです。今でもヘリコプターは結構飛んでいます。

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駐屯地と道路を挟んで向い側に行ってみるとこんな看板があり、かつて反基地闘争が盛んだったころの雰囲気を残しています。

そんなわけで、基地が拡張されようとしていた場所は、周囲と比べると開発から取り残され、一部は今も畑地のままです。

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空き地の一部は野球場やテニスコートにもなっています。「暫定的に」というのが何ともいえない訳あり感を漂わせていますが、これは、国が基地拡張のため用地買収をしたものの拡張には至らなかったことから、公園として使っているということのようです。

立川基地の拡張はうまくいかなかったため、米軍は次第に近隣にある横田基地にシフトしていくことになりました。横田基地の近所に住んでいる私の姉に聞くと、「横田は輸送機が中心だからマシかもしれないけど、最近はオスプレイだか何だか知らないのが飛んできたりもするし、結構うるさいんだよね?。」なんて話でした。米軍基地から生ずる種々の問題は、我が国の首都の住民にも、決して昔の話でもなければ、遠い話でもありません。

 

事件と司法権の独立

さて、砂川事件は、一審で米軍の駐留が憲法違反であるとする判決が出され、その後、高裁を飛ばして最高裁判所で審理がなされるという異例な手続をたどっていますが、当時の田中耕太郎最高裁判所長官は、審理の日程や評議の情報を米国大使にお知らせしながら手続を進めていた、との資料が最近になって発掘されています。1

そうだとすると、この判決は、司法権の独立をかなぐり捨てて対米従属に走った結果としての判断であり、いわば我が国の司法権の歴史に刻まれたメジャーリーグ級の汚点である、との評価がなされてもおかしくはないことでしょう。これでは、判例としての権威に疑義も生じかねません。

一方で、砂川事件の判例を根拠に集団的自衛権を容認するかのような議論もなされていますが、この判例の生まれた背景を観察してみれば、それが極めて脆弱な根拠に基づいた議論であるとの批判も免れ得ないことかと思われます。

 

不思議な因縁

冒頭に触れたように、東京地裁の立川支部は立川基地の跡地に所在していますが、思い起こしてみると、今の最高裁判所も、かつてパレスハイツと呼ばれた米軍居留地の跡地にありますし、和光市にある司法研修所も米軍キャンプの跡地にあります。奇しくも、今月には、米国の最高裁判所長官が日本の最高裁判所から招聘されて意見交換をする予定もあると聞いています。

いずれも、たまたまそういうことに過ぎない、とも思うのですが、我が国の司法権と米国には、何か不思議な因縁があるということなのかもしれません。

 

 


  1. 布川玲子・新原昭治編『砂川事件と田中最高裁長官』59頁?67頁(日本評論社、2013) 

城跡と裁判所(15)秋田地方裁判所・仙台高等裁判所秋田支部

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秋田地方裁判所の庁舎は他の裁判所と代わり映えしない、といいますかちょっと老朽化が進んでいるような雰囲気です。特筆すべきこととしては、県庁所在地にある裁判所にしては駐車場がかなり広いです。やはり、秋田も車社会だということなのでしょう。

以前の記事(高裁支部の適正配置)でも触れましたが、この庁舎には仙台高等裁判所秋田支部も設置されており、大雑把にいえば秋田県全域の他、青森の弘前、五所川原、山形の酒田、鶴岡といった東北地方の日本海側の地域に関する控訴審を管轄しています(但し、秋田県以外の行政訴訟や裁判員裁判はこの限りではないはずです。)。

 

ところで、高等裁判所の支部に関しては、高裁支部長就任者のキャリアパス分析?その経歴的資源に着目して?という論文があることを知りました。論文の要旨を引用しますと、

一口でいえば、高裁支部長ポストは冷遇ポストにほかならない。そして、高裁本庁の管轄地域と高裁支部のそれとでは、明確にキャリアの異なる裁判官が配置されている。とはいえ、どこに住んでいるかで裁判を受ける権利に「ばらつき」があってはならないはずである。

なかなか恐ろしい内容です。もちろん、裁判官の人事は司法権の独立の中核をなすものではあるのですが、外から見ればよく分からないことも多いようには感じるところです。

 

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さて、司法行政の生々しい話はその程度にして、官庁街にある裁判所からは少し離れてむしろ秋田駅に近いところにある千秋公園(久保田城跡)を訪ねてみることにします。秋田市は佐竹氏の居城であった久保田城を中心として発展していった街です。そういえば、現在の秋田県知事も佐竹さんという名前ですが、佐竹氏の一門の方であるようです。

ここの城跡は石垣がほとんどないのが特徴的で、公園となった現在も全体として気品のあるたたずまいを見せています。

 

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佐竹氏は元々は常陸国の一帯を支配する有力大名でしたが、徳川家康に命じられた国替えにより秋田に移ったことから、財政的には厳しい状況を余儀なくされたようです。そのようなこともあって、この城には天守閣を元々造らなかったということですが、秋田市内を一望できる場所には御隅櫓が復元されています。

 

 

城跡と裁判所(14)宮崎地方裁判所・福岡高等裁判所宮崎支部

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宮崎市にある宮崎地方裁判所を訪ねました。庁舎の正面にはフェニックスが植わっていたりして、南国テイストあふれた雰囲気なのが特徴的です。

この庁舎には福岡高等裁判所宮崎支部も設置されています。宮崎は九州の中でも福岡へのアクセスが昔からあまり良くありません。そういう事情もあって、戦後に鹿児島との取り合いを制して高等裁判所の支部が設置されていますが、過去の記事(高裁支部への適正配置)でも触れたとおり、同支部が管轄している大分県の佐伯市や鹿児島県内からこの高裁支部を使うというのは、依然、交通の問題もあってそれほど容易ではなさそうです。

 

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さて、裁判所の近くに城跡はないか?と探索をしてみますが、宮崎市は元々城下町ではありません。明治時代に今の宮崎市の位置に県庁が設置されて以降、宮崎市は県庁を中心として発展していった都市としての歴史があります。

そういう次第で、裁判所の前の通りを歩いていくと数分もすれば宮崎県庁があります。前の知事の時には良く取り上げられていたので、見覚えのある建物だと思う方も多いのではないでしょうか。いかにも昭和初期の様式に見えますが、こちらはなかなか堂々とした雰囲気の建物です。

 

 

城跡と裁判所(13)熊本地方裁判所八代支部

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熊本県内では、熊本市が今や人口74万人近くを擁してぶっちぎりの大都市となっていますが、人口で2番目の都市ということになると、およそ13万人弱の八代市になります。八代市には熊本地方裁判所八代支部が所在しています。ガラス張りを多用した新しい庁舎です。

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八代城跡は、裁判所から八代市厚生会館を挟んで隣にあります。熊本城跡も壮大ですが、八代城跡に残っている石垣もなかなか立派なものです。

ところで、いずれの城も熊本藩内なので一国一城令に引っかかっていたんじゃないか?という疑問が湧いたのですが、この点に関しては、何かと幕府のいうことを聞かない薩摩の島津氏対策の理由もあって、八代城の維持が許されたという経緯があるようです。

そして、城跡の斜向かいには八代ひまわり基金法律事務所も所在することを確認し、裁判所支部の所在地で活動する同好の士がいることを心強く思いつつ、八代を去った次第であります。

 

 

城跡と裁判所(12)熊本地方裁判所

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熊本家庭裁判所の前の道を登っていったところに熊本地方裁判所があります。家裁よりは城から離れていますが、元々武家屋敷があった界隈に所在しており、城から遠いところではありません。熊本地裁のウェブサイトに詳しい説明が載っていますが、一部、昔からの庁舎を保存して活用しているようです。

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やはり熊本城は立派な石垣に囲まれ、壮大な造りです。

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これは、西南戦争で焼けずに残った数少ない現存建物の宇土櫓です。櫓とはいえ、これ一棟でも小さな城なら天守閣に相当してもおかしくないような立派な建物です。内部の見学も可能で、当時のままの構造を知ることが出来る貴重な構築物となっています。

 

 

城跡と裁判所(11)熊本家庭裁判所

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熊本家庭裁判所の住所は熊本市中央区千葉城町、すなわち、地名のとおり元々このあたりは千葉城というお城があったところですが、これと一体的に加藤清正が熊本城を築城したという経緯があります。そのような次第で、熊本家庭裁判所は熊本城の隣、より正確には一本の道路を挟んだ向かいにはもう熊本城の石垣がある、というような場所にあります。

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そこで熊本城を回って見物してみます。さすが築城の名人である加藤清正が築城した城だけあって、壮大な石垣に囲まれています。残念ながらほとんどの建物は西南戦争の際に焼けてしまったため、天守閣こそ復元によるものではありますが、城域も広く見応え十分な城跡です。

 

 

城跡と裁判所(10)熊本地方裁判所天草支部

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現在は自治体の合併により天草下島の大部分は天草市となっていますが、その中心的な市街地である旧本渡市内に、熊本地方裁判所天草支部は所在しています。

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裁判所から少し離れた山の上に、本渡城跡があります。かつて、本渡には城がありましたが、戦国時代に小西行長らに攻められて落城しました。その跡地は今は殉教公園という名前で整備されています。本渡城跡からは本渡の市街地と天草の島々を一望することができます。

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殉教公園には、島原の乱関係の歴史的展示物を公開しているキリシタン館があり、キリスト平和像が建立されています。この地域に根付いている信仰の深さを感じるところです。