民事訴訟は本当に充実するのか?

 

現行民事訴訟法施行20周年

現行民事訴訟法施行20周年を記念して、論究ジュリスト24号に特集が組まれており、武藤貴明判事が論文を寄せている1と聞いた。

武藤判事は帯広に赴任されていたことがあり、期日が終わると矢のような速さで争点整理案が送られて来たり、当事者双方ぐうの音も出ないような判決を書かれたりということで、僭越ながら、当時より大変優れたご活躍をされていた印象があった。

そこで、早速取り寄せて拝読した。

 

「充実した審理の阻害要因」

本論文では、弁護士に対して次のように手厳しいご指摘がある2

また、近年、若手弁護士の増加や代理人と依頼者との関係の変化等を背景に、十分なスキルを有しない代理人が、準備不足のまま訴えを提起し、あるいは争点整理手続に臨んだり、依頼者の意向のままに訴訟活動を展開し、争点整理にも非協力的な態度を示すといった傾向が強まっているようにも感じられる。こうしたことも充実した審理の阻害要因になっていることは否定できない。

誠にお恥ずかしいが、まったくそのとおりである。

争点整理手続で当事者に充実した受け答えをしてほしい、といった問題意識は、裁判所サイドから度々聞こえてくる。

しかし、そうもいかない。

いや、そうもいかなくなってきた、ということなのだが、充実した審理の阻害要因という点については思い当たることがあるので、弁護士側として考えられる実情を三点ほど挙げて検討することにしたい。

 

カジュアルな受任スタイル

第一に、弁護士が面談もせずに各地の依頼者を漁るスタイルが流行するようになったということがある。

このスタイルでは、ほぼ必然的に、弁護士が依頼者の事情を十分に把握できないまま事件処理をすることにつながる。事情を知らないまま弁護士が期日に出頭してきても「分かりません」としか回答しようがないし、そもそも本当に大丈夫か、ということになる。

これは、弁護士の宣伝広告の自由化及び広域化がもたらした現象である。もちろん、そのようなスタイルの法律事務所が縮小するという方向性により、この問題が多少改善することはあるのかもしれない。

ただ、そうでないとしても、弁護士と依頼者がコミュニケーションを取るための手段は多様に発達しているのだから、何が何でも事務所に来てもらって面談を要する時代でもないだろう。そこで、技術的な手段を活用して、このような問題を解消するという方向性はあるのではないか、とは思っている3

 

後ろから弾が飛んでくる

第二に、弁護士の依頼者への従属性が強まったということがある4

本来、委任というのはそのような関係ではないと思う5。しかし、弁護士は自分の命令どおりに動く存在だとしか思ってない依頼者は多いし、気に入らなければ解任してやる、次第によっては懲戒請求してやる、と思っている依頼者も存在する。

更にいえば、顧客獲得競争が厳しくなってしまったので、依頼者の無茶な意向にも益々付き合わざるを得なくなっているし、また、懲戒手続の存在がポピュラーになってしまったので6、濫用的な懲戒請求にも今まで以上に警戒せざるを得なくなっている。

こうして、弁護士が依頼者に対してナーバスになる度合いはより一層強まるようになった。

そうすると、争点整理の局面でも、うかつに依頼者の意向と違うことを口走って後で問題となることは避けたい。一般的に、弁護士は前から飛んでくる弾はそれほど恐れないが、後ろから飛んでくる弾には強い恐怖を感じる性質がある。

そんな状況では、とてもではないが充実した議論どころではないのである。

 

揚げ足取りに終始する

第三に、揚げ足を取る弁護士が増えたということがある。

もちろん、昔からそのような輩はいたのかもしれないが、気になるほどではなかったと思う。特に、代理人の態度としていかがなものかと考えるのは、交渉段階で出た話を、訴訟において揚げ足取りのために主張するようなことである (例:「金を払うといって一旦は和解の提案をしてきたんだから責任を認めたということだ!」)。

勝たないと死ぬ病でも蔓延しているのだろうか。実は、そのような主張を行う弁護士は大変増えているため、率直に申し上げて我々も困惑している。

争点整理の局面でも同じことで、そういう揚げ足取りに終始する弁護士が増えてきたと思えば、警戒を緩めるわけにはいかない。だから、自由闊達な議論なんかできるわけがないのである。まさに、謝ったら死ぬ病である。

こうして、議論の筋道を引き戻すのが難しくなると、審理が迷走するのであろう7。そうなるとすれば、その責任は概ね弁護士の側にある。

 

最強の弁論術

かくして、日々、全国津々浦々の法廷を駆け巡る法廷弁護士たちは、ただ一つの最強の弁論術を編み出すに至る。

すなわち、

次回期日に主張します!

というアレである。

いつもヌケヌケとそのような対応をしやがってこの○○8な代理人が、と思われることもあるかもしれない。

しかし、これは、依頼者、相手方、裁判所9といった、訴訟を巡る様々な主体との関係性を熟慮した末に止むなく発する一言なのである。

もちろん、単純に調査不足の場合があることは、否定しない。それではまったくダメなので、準備はちゃんとしよう。

 

民事訴訟の今後

こんな議論をしているようでは、さすがに身も蓋もないので、これからの民事訴訟の展望を論じることにしたい。

武藤判事の論文は、次のように結んでいる10

もとより、民事訴訟の改善は、裁判所のみでできることではなく、弁護士や弁護士会の協力も不可欠である。これからの10年を「民事訴訟充実の10年」にしていくため、我々実務家には、一致協力して、現行民訴法の理念に立ち返り、利用者のための民事訴訟を実現していくことが求められているといえよう。

ぐうの音も出ないとはまさにこういうことであり、まったくそのとおりである。

裁判所も努力しているところであるから、メインユーザーである弁護士も、様々な努力をしていかなければならないのであろう。

 

弁護士の苦悩

それでは、今の時代を生きる弁護士としては、いかなる努力ができるだろうか。

第一義には、目の前の事件に真摯に取り組めということではある。

しかし、弁護士の生存環境が厳しくなればなるほど、丹念に依頼者から事情を聞き取り、事実関係や法的問題を調査し、隙のない書面を書き上げ、尋問のための入念な準備をするといった、非定型的で多大な時間と手間が掛かる訴訟事件の処理に経営資源を振り向けることは、益々困難になる。

その行き着く先は、「難しい依頼者は受けない」「少額の事件は受けない」「勝てない事件は受けない」「複雑な事件は受けない」「回収困難な事件は受けない」ということになるだろうし、それに止まらず「訴訟は控える」「訴訟外業務に注力する」ということもあり得よう。

果たして、そのような傾向が著しくなった場合に、司法は役割を維持することができるのであろうか。

司法の役割について「裁判所を中心とする法原理のフォーラム」11とする捉え方がある。しかし、いくら裁判所が民事訴訟の充実のために努力をしても、弁護士が持ち込む事件の傾向が限られるとか、弁護士の訴訟活動の質がアレだということでは、フォーラムの土台はぐらついてしまうだろう。

本来は、弁護士も法廷における職人として訴訟技術を磨くべきであり、そのための研鑚が活発に行われることが望ましい。しかし、残念ながら、現在の弁護士業界で主要な関心が向いている点は、そこではない。どちらかというと、技術性とか専門性はそっちのけでどう売り込むかみたいな話の方が多くなってしまった。一連の改革がもたらした悲劇である。

 

まとめ

以上、民事訴訟の改善に向けては裁判所も様々な取り組みをしているところであり、そのような活動に対しては敬意を表したい。一方で、民事訴訟を積極的に活用したいと願いつつ、実際なかなか使い切れていない場面もある弁護士の立場としては、いささか苦悩もある。

とはいえ、裁判所を中心とする法原理のフォーラムは、究極的には個人の権利及び自由を維持する上で必要不可欠な存在であるから、それがより一層質的に豊かで充実したものとなることを一法曹として心から願っている。

さて、そろそろ起案にとりかかろう。

 

 


  1. 武藤貴明「裁判官からみた審理の充実と促進」論究ジュリスト24号14頁以下(2018年) 

  2. 前掲17頁 

  3. 民事訴訟手続においても、既にテレビ会議システムを利用する等の取り組みは一部でなされているが、やっと書面の電子化の動きも具体化してきたというような報道も聞こえてきている。そのような動向の行き着く先は、おそらく司法の一極集中化ではないかという懸念も感じているところではあるが、今後の動向を注視したいと考えている。 

  4. 余談となるが、司法修習生は、当事者本人が同席するか否かで弁護士の振る舞いに変化があるか観察すると良い。当事者本人の前でハッスルする弁護士は少なくないし、度を超していることもある。当職は、そのようなスタイルは好きではない。裁判所は、法原理に基づいて問題を解決する場所であるから、そこでの議論は理性的であるべきではないかと思う(もちろん、そのような姿勢であるから依頼者の受けが悪いと自覚している。)。 

  5. 我妻栄『債権各論 中巻二』652頁(岩波書店、1962年)から以下引用。「委任は、他人の労務を利用する契約の一種であって、一定の事務を処理するための統一的な労務を目的とすることを特色とする。統一的な事務を処理するためには、多かれ少なかれ、自分の意思と能力によって裁量する余地を必要とし、従って、その労務は、いわゆる知能的な高級労務であることを常とする。見方を変えれば、委任は、他人の特殊な経験・知識・才能などを利用する制度なのである。」 

  6. 無論、懲戒手続の適正な発動は必要である。しかし、テレビで不当な懲戒請求を扇動して濫用的な懲戒請求が多数生じるようになったきっかけを作った人に関しては、二度と弁護士の肩書きを用いて活動すべきではないという程度には考えている。 

  7. もちろん、優れた裁判官は、そうなる前に箸にも棒にも掛からない主張はきっちりシャットアウトしている。 

  8. 適当と思われる二文字を各自補充されたい。 

  9. 大坪和敏「弁護士からみた審理の充実と促進」論究ジュリスト24号25頁(2018年)より以下引用。「自由な発言が出来ないのは、和解に関し、和解を希望する事件であっても、裁判官に不利な印象を与えることを懸念して当事者から裁判所に和解の希望を申し入れることを躊躇する傾向があるのと同様に、弁論準備手続における自由な発言で、裁判所に不利な心証を取られるのではないかという懸念があるためと考えられる。」 

  10. 武藤・前掲19頁 

  11. 第154回国会参議院憲法調査会における佐藤幸治参考人の基調発言より。 

働き方を考える(3)なぜ働くのか

働く歓びとは何であろうか

 

経営者と労働者の規律は異なる。

だからこそ、経営者は、自らが「365日24時間死ぬまで働け」との心意気で仕事に取り組んでいたとしても、同じことを従業員に求めてはいけない。それをやると、本当に従業員が死ぬことがある。

だが、そのことを理解しない経営者はいまだに少なくない。

当事務所には従業員もいるので、我々が従業員の働き方についてどのように考えているか触れておきたい。

 

労働条件について

当事務所の基本的な労働条件の例を挙げると、勤務時間1日7時間の週休2日制である。有給休暇に関しても計画的付与の協定を結んで消化に努めている(それでも余ってしまうため申し訳なく思っている)。

働いている人の待遇が悪すぎると様々なリスクを招く。例えば、レピュテーション的にも宜しくない。裏返していえば、労働条件を整えることは、経営を安定的に維持するためにも重要な意味がある。

なお、悪辣な経営者が率いる企業の商品なんかイヤだ1、と思う人も決して少なくない。最近は炎上という現象もある。そういった点に益々敏感にならざるを得ないのは、どんな企業にも共通する課題である。

 

タイムカードは正確に

当事務所ではタイムカードで勤務時間を記録している。

ところが、従業員を採用した当初には、タイムカードが正確に押されていないことがあったり、時間が書き加えられていたりしたことがあった。

しかも、どういうわけか従業員に不利になっている。一般的には、そのような慣行でもあるのだろうか。

それで、タイムカードの扱いに関して「押したらすぐに帰ること」とか「絶対に手を加えてはならない」と指示していた。杓子定規過ぎて従業員は戸惑ったかもしれないが、そのような点は良く励行してもらっている。

 

早く来てはいけない

従業員は真面目であるから、始業時間より早く来て掃除とかやっていたりする。早く出勤すれば普通は偉いと評価されるのだろうが、当事務所ではそうではない。

むしろ、「30分前に来るとか飛んでもないから定められた時間に出勤してください。」と苦言を呈したことがある。

これでは杓子定規過ぎて、むしろ従業員の意欲を損なうのかもしれない。

しかし、人生は仕事だけではないのであるから、仕事は決まった時間内になすべきである。従業員が早く来たとか遅く帰るというようなことで、その信頼性や忠誠度を測るとかいう封建的な悪習は早く消え去った方が良いと心から願っている。

新入社員に対して始業30分前に出社することを説いて話題になった秀麗な経営者2もいたが、これは間違っている。最初に述べたように、経営者と労働者の規律は異なる。だから、経営者の側から進んでそういうことを言うのは良くない。

 

人は何故働くのか

そういった諸々の考え方は、世間的には受けが良くないと感じることがある。

例えば、労基法の建前なんかクソ真面目に守っていたら会社がつぶれる、というのが代表的な批判である。

本当にそうだろうか?

確かに、法令遵守のためにコストが増えれば、株主や経営者の取り分は少なくなる。だが、それですぐに企業がつぶれるわけではない。むしろ、最近は、法令違反によって生じるリスクの方が無視できないほど大きく、企業に致命傷を与えることがある。

そもそも、従業員が雇用契約上の義務を超えて、企業のために尽くさなきゃならない理由なんてものは本来的にはない。だから、働いている人には限られた時間内に集中して仕事をしてもらい、その余は自由に過ごしてもらうのが良い。

なお、企業のために仕事をするべき立場である経営者は、成果を得る努力や工夫を惜しんではいけない。ただ、経営者も人間である。文字どおり365日24時間働けば死んでしまうのだから、何をどこまでやるのかは自律的に判断すべきである。

 

まとめ

昨今、従業員の幸福を追求するといった経営理念を掲げる企業は少なくない。とても善いことだと思う。

では、幸福とは何か。一言でいえば、幸福とは自己実現のことである。そして、どのように働くかということは、自己実現の要素の一部に過ぎない。すなわち、従業員の幸福を追求するということは、従業員を必要以上に仕事に縛り付けない、という意味を含んでいる。

繰り返し述べるが、人生は仕事のみではない。

我々自身は、極めて小さな経営を実践しているに過ぎない。とはいえ、働くことのあり方はより多様であって良いという発想が広く受容される社会となるよう、今後も努めることにしたい。

(おわり)

 

 


  1. 労働問題に関するものではないが、経営者の言動が不買運動に発展した代表的な例として、東北熊襲発言がある。そもそも東北地方は熊襲ではないので、この発言はあらゆる意味で間違っている。 

  2. この人は、司法試験にも受かっていて法律を知っている人なのであるから、新入社員に働き方の心構えを説く趣旨なのであれば、別の表現の仕方をすべきであったと思う。 

働き方を考える(2)どう働くのか

当地の光景

 

当地に赴任した人の話を聞くと、転勤についていささかネガティブな反応が出ることがある。

イソ弁以来の職業生活を好んで当地で営んでいる私には、その感覚は良く分からない。ただ、望まぬ転勤は辛いのだと思う。

余談ながら、イソ弁は給料の3倍稼げといわれたりすることがある。それは結構大変である。ただ、私の場合、稼いだ分を全部もらえる破格の待遇だった。昔はそのくらい弁護士が足りなかったのである。

 

職住一致

さて、私は、結婚に伴い独立することになり、その後に子供が2人生まれた。

夫婦それぞれで仕事は続けていたので、子供を保育園に預けていても、熱を出したとか怪我をしたとかイレギュラーなことが発生すると、仕事との兼ね合いで対処が厳しくなる。自宅と職場と保育所と移動するのも時間がかかる。子供が小学校に通うようになれば、放課後どう過ごすかという問題もある。

そのような問題をまとめて解決するため、保育園と小学校のいずれにも近い場所に自宅兼事務所を建てた。いわばライフハックである。

 

通勤がない

通勤時間は0分になった。

それまでも片道10分程度だったが、1日あたり夫婦で往復延べ40分節約できる。タイムチャージを1時間2万円、年間通勤日数を240日とすれば、単純に考えて経済効果は320万円/年である。

もちろん、その分仕事がなければ机上の空論に過ぎない。だが、こう計算してみて、通勤に費やす時間の価値を理解した。

通勤という観点だけで見ると、首都圏は壮大な社会的損失を生み出している。経済全体ではそれを超えるメリットもあるかもしれないが、何より実際に通勤する人が壊れる。

 

子連れ出勤

最近、子供を職場に連れて来て良いかという議論が沸騰している。

うちの場合、以前も子供を連れて出勤していたことはあった。今では、連れて来る以前の問題で、家にいる。

子供の相手をする必要があると仕事に影響しないのか、という問題はある。確かに、仕事の手が止まることもあるし、二人同時に出張できないといった業務面での制約が生ずることもある。とはいえ、そこは長い目で見て考えるということではある。

家庭の事情が業務に影響する場合があるのは、誰であろうとも仕方がない。家庭の事情に関わりなくパフォーマンスを常に発揮すべきだ、という考え方もあるのかもしれないが、率直にいえば人間離れしている。

なお、うちの弁護士会では、各種の業務や行事に子供を連れて行っても文句を言う人はいない。そのような雰囲気が醸成されたのは、ある先輩弁護士のご夫婦が子供を普通に連れてきていたあたりからだと思うので、もう10年以上前からのことである。

 

デメリットなどについて

もちろん、職場と住居が一致することのデメリットはある。弁護士の場合はセキュリティの問題が深刻な場合もありうるから、一概に良いとはいえない(実際、今の時代では、このようなスタイルは主流ではない。)。

また、顧客層によっては、現代的なビルディングに立派な事務所を構えた方が受けが良い、といった事情はあるかもしれない。

とはいえ、そのような事情があるとしても、そこは何を優先するかという問題である。素っ気ない建物であっても、自前の物件である。たまに、良い壁紙使ってますねとおっしゃってくれるような方もいるので、見る人が見れば分かるのだと思う。

(つづく)

 

 

働き方を考える(1)どこで働くのか

かつての通学経路(中目黒駅)

 

このところ、働き方改革というスローガンが良く聞こえてくるようになってきた。

実は、あえて改革なんていわなくても、働く人を大事にしようとしていれば自ずと効果があるような気がしているが、いかに働くべきかということは昔から関心を持っていたテーマである。

そういうわけで、思うところを書いてみることにした。

これまで、働き方について考える契機となった出来事はいくつもあるが、中には独特な見方もあるかもしれない。少々、詳しく述べることにしたい。

 

過酷な首都圏の交通事情

私は埼玉のとある田舎町で育った。池袋から東武東上線に1時間くらい乗って、そこからさらに何キロか先の山の中みたいな所に住んでいた。

高校から都内の学校に通うことになった。昔は副都心線の直通運転もなかったから、自転車乗って、東上線乗って、山手線乗って、東横線乗って、さらに歩いて、6時に家を出て8時半の始業のちょっと前に滑り込むように通学していた。

何しろ、ラッシュ時の東上線の急行列車なんかに乗ると、遠くまで行き帰りしなきゃならないからなのか、みんな目が死んでいるように見えた。

高校を卒業するまで何とか持ちこたえたが、東京を中心にする生活をするのはもう一生御免だなあ、と思ったのだった。もちろん、しっかり稼いで便利な場所に住めればそんな悩みも無縁だろうが、そんなに容易ではない。

 

ボウガン襲撃事件の衝撃

そんな次第で上洛して羽を伸ばしていた90年代の末、司法試験に受からないのを逆恨みしたベテラン受験生が、法務官僚の自宅にボウガンを打ち込むという衝撃的な事件が起きた。

この事件、何に驚いたかといえば、事件現場が埼玉県の川越市だったことである。

法務検察の大幹部でも、川越あたりの自宅から霞ヶ関まで通っているとなったら結構な通勤時間を食われるじゃないか、ということに驚いたのだ。

首都圏の住宅事情では、役所の大幹部ですら通勤しやすい場所に住めるわけでもないんだなあ、と思ったのだった(但し単なる誤解かもしれない)。

 

進路選択への影響

さて、そういうわけで、首都圏の生活環境は最悪であると感じていたし、それを個人の能力で克服するのは極めて困難だと考えていた。

それで、私にとって、どこでどう働くかというのは働く前から結構重要な問題だった。なお、ある先輩からは「お前は寝ないとダメだから渉外(事務所)に行ったら死ぬ」と面と向かって言われたことがあった。そういったことも含めて、働き方というものを考えた方が良いのかもしれない、とは思っていた。

(つづく)

 

 

ブックレビュー:『変貌する法科大学院と弁護士過剰社会』

 

はじめに

法科大学院、法テラス、裁判員裁判・・・司法制度改革に対してどのような評価をするかは、なお議論がある。

ただ、全く問題なくうまく行っていっていると言い切れる人はいないと思う。万が一にもそのような人がいるとすれば、清々しいほど超然的である。

本書には、司法制度改革のうちでも、特に、法科大学院と法曹人口の問題についての論考がまとめられている。

 

ドグマチックな法科大学院

まず、本書では、法科大学院の制度設計について論じている。そこで目を引くのが、法科大学院には現実を無視した数々のドグマが存在していた、という指摘である。

ざっと読んでみても、司法試験敵視ドグマ、起案敵視ドグマ、双方向ドグマ、幅広い知識と教養のドグマ、理論と実務の架橋ドグマ・・・等の指摘がある。嗚呼、もう、これだけでも何か大変なことになってるなあという想像がつきそうである。

さすがに、成果が上がってないのでマズいということが認識されてきたのか、現在は修正が図られつつあるということも本書では述べられている。

しかし、一体今まで何をやっていたのだろうか。

法律学の修得はなかなか難しいと思うのだが、適した方法は色々とあり得る(より端的にいえば予備校をバカにできない)。だから、そのような方法に何としても拘らなければならない、ということではなかったんじゃないかと思うのである。

 

法曹人口問題のこと

法曹人口が増えたことで法曹の質が低下している、という話については良く耳にするが、本書でもいくつか具体的なエピソードが紹介されている。

質が低下しているかどうかということについてはなかなか断言しづらい。当職自身も、人のことが言えるほど高品質かどうかといえば、あやしい。

ただ、事件が解決しづらくなっている、というような雰囲気は感じることがある。その一因として、本書でも指摘のあるとおり、依頼者への従属的傾向が強くなっているということはあるかもしれない。それ以外にも、問題事例を見かける機会は、少なくなくなってきたように思う。

さすがに、法曹三者のいずれを問わず、法律家が法律判断を間違えるような事案が頻発するといった事態にはならないでほしい、と祈るような思いでいる。

 

本書の結論に対する意見

本書の結論は、「法科大学院の入学総定員数は司法試験の合格者数から逆算し、法科大学院に入学すればよほどのことがないかぎり司法試験にも合格できるようにする」(282頁)というものである。

また、そのための抜本的改革ができなければ、「司法試験の受験資格要件から法科大学院の修了を外すことを検討するしか方法はない」(285頁)とする。

この考え方に対しては、概ね同意するところである。

概ね、というのは、抜本的改革は困難に見えるからである。例えば、ここに来て、法学部+法科大学院での5年一貫コースを設けるといった苦し紛れの構想が繰り出されたが、なお制度が迷走していることを象徴しているようである。

本当に法科大学院に魅力があれば、司法試験の受験資格要件に関わりなく存立できるはずである。いや、そうでなければならないのである。一部の法科大学院は先導的法科大学院(LL7)と称しているが、それも生き残りをかけての活動の一環ということなのであろう(個人的には、京大が徒党を組まされているのが大変気に入らない。)。

結局、法学部では学び足りなかった人や非法学部出身者のために、法科大学院はあっても良いと思う。一方で、司法試験は自由に受けられるようにしてその時点での能力に応じて選抜する、ということで良いのではないか。当職はそのような意見を持っている。

 

 

ブックレビュー:『依頼者見舞金ー国際的未来志向的視野で考える』

 

はじめに

今年3月の総本山での臨時総会で、依頼者見舞金制度の導入が決議された。

個人的にはこの制度の導入に反対していたので、まずは以前の記事を紹介しておきたい(「依頼者見舞金の展望:アメリカの状況を踏まえて」)。

臨時総会での決議がなされた翌月に出版されたのがこの本である。内容としては、2014年に開催された法曹倫理国際シンポジウムの記録であるが、依頼者見舞金制度導入のタイミングを踏まえて慌ただしく出版された印象を受ける。

 

感想

本書のハイライトは、須網教授と弁護士のディスカッションが噛み合っていない場面である(59頁以下)。

須網教授は、隣接士業と重なる弁護士業務が行政の監督を受けないのはおかしいとか、問題会員への弁護士会の指導・監督が足りないといった趣旨の指摘をされる。司会者は「いろいろプロボカティブな質問」と取り繕ってはいるが、いささかトンチンカンな問題提起である。

それで、弁護士側から説明がなされると、「私は、ちょっと実務があまりよく分からないので」だとか「ちょっともしかすると、趣旨が伝わらなかったかもしれないのですけど」などと始まる。本当に大丈夫かという感じである。

石田准教授の論考への意見は以前にも書いた。最近も寄稿を見掛けたが1、アメリカと同様の制度を導入することの単純明快な説明に終始している。

今も横領被害は起きる中、国際的やら未来志向だとか悦に入っている場合ではない。一体何のシンポをやっていたのだろう。

 

法曹倫理の課題

ところで、ちょっと実務があまり分からないなんて仰っている須網先生、別の所では給費制復活運動を目の敵にして弁護士会を罵倒している2。大変正直な人なのだと思う。

こうなってくると、理論と実務の架橋どころではない。相互不信の根深さは、法曹養成制度に暗い影を落としている。

つまらないからなのか学生には評判が悪い科目であるようにも聞こえてくるが、法曹倫理を教えないならロースクールはなくてもよい。法曹倫理の理解は道を踏み外さないために不可欠なだけに、机上でもしっかり身に付けて実務に出ていく人が増えることを祈っている。

 

 


  1. 石田京子・加戸茂樹「依頼者見舞金制度と米国の依頼者保護基金制度の比較」自由と正義68巻9号22頁以下(2017年) 

  2. 須網隆夫「司法修習生への給費制復活」法律時報89巻4号3頁(2017年)には、「弁護士会は、給費制復活のために、弁護士の経済的利害を追求する圧力団体として徹底的に行動した。このことは、日本の弁護士の歴史に汚点を刻むものである。」とある。謎理論である。 

ブックレビュー:『破天荒弁護士クボリ伝』

 

久保利先生の本、特に買おうと思って本屋に行ったわけではないが、噂に違わず表紙が派手過ぎて思わず購入してしまった。

今の時代、弁護士として生き残るにはこのくらい押し出しが強くなければダメだ、ということを後進たちに対して体を張って示しておられる。

お話は相変わらずとても面白い。要するに数々の武勇伝が語られている。巻き込まれる危険をきっちり回避しながらも、かつての武富士や商工ファンドとかからも仕事を受けているのが印象的であった。

日弁連の会長選挙に立候補した関係で、久保利先生は釧路にも来てお話をされたことが記憶にある。会長選挙のことも触れているが、破天荒過ぎて多数に支持されるというのではなかったのだろう。また、司法制度改革の点についてはアレなので、特に申し上げることはない。

フツーの弁護士がこのような生き方をマネすれば、塀の中に落ちるか、命を落とすことになるだろう。久保利先生は頭も良いし、一生懸命努力もされているからこそ、このような生き方ができるのだと思う。法曹の生き方というものは真に多様である。

 

 

残業代バブルは生じるのか?(2)

前回の話の続きである。

ここ数年、残業代バブルが来るといわれているが、実際はそうでもない雰囲気である?1(なお、ここでの「バブル」とは、特定の事件の処理に多くの弁護士が群がる現象、といった程度の意味としておく。)。

なぜだろうか。

 

過払い事件と残業代事件の比較

とりあえず、過払い事件に関する事情を検討して、それと比較してみると分かりやすいのではないかと思うので、そうしてみる。

過払い 残業代
依頼者 弁護士への依頼後に債務の支払を止めれば生活状況が改善する。過払金を取り返すのを待てばよい場合も多い。 弁護士への依頼後も収入確保を要する。生活に困る場合もあるので、少しでも早く回収したい場面も多い。
人的関係 貸金業者との人的関係は薄いため、容赦なく請求できる。 勤務先との人的関係が濃いため、請求をためらうことがある。
請求額 返還総額が1000万円を超えることも普通にある。 100万円前後だとかそれ以下のことも多い(個人の感想です)。
立証方法 取引履歴の取り寄せが容易になり、請求額を明確にできる。 労働時間の立証が難しい場合があり、残業代の算定が容易ではない。
回収可能性 貸金業者には資金力があり強制執行して回収もできる(今は違う) 中小零細企業では資金力が弱く、無い袖は振れないの抗弁が出てくる。

 

バブル発生の条件

比較してみると、やはり、過払い事件は際だった特徴を有する事件類型であった。そりゃあバブルも発生するというものであろう。

まとめると「請求額が大きく、立証が容易であり、回収が可能な事件が頻発する。」というのがバブル発生の条件であるように見える。

残業代請求は頻発する類型の事件ではあるが、請求額が小さかったり、立証が容易でなかったり、また、回収が難しかったりする場合もある。

もちろん、多少気合いを入れて争えばそのような困難もクリアできようが、常に気合いを入れ続けるには限界というものがある。

 

具体例

示談代行が一般化する前の交通事故案件は、それに近いものがあったのではないかと推測している(ただ、立証は過払い案件の方が易しいであろう。)。

主に立証が容易でないことが理由で、それほど活発化しない類型の事件は多いと思う。

特に、国が相手だと、むやみやたらと抵抗してきそうなので、アスベスト被害の事件などもそれに特化して事件処理数を伸ばす事務所は多少出て来るかもしれないが(厚労省は訴えてくれといっているようだ)、限定的ではあるのだろう。

そもそも、生命身体に関わる案件の処理が「バブル」と呼ばれるようなことになるのは、あまり宜しいことではないということはある。

 

社会変化による影響

ところで、判例や法律の変更により、社会の情勢は変化することがある。このような変化が、いつ、あるいはどのようにもたらされるかは重要である。

過払いでいえば、昔からそのような請求が成り立つことは認識されていたが、20年前には真面目に請求していた弁護士がどれだけいただろうか。それが、高金利が社会問題化し、有利な裁判例が積み重なり、行政による監督も立法での規制も厳しくなり、ついにバブルと呼ばれる状況にまで至ったのであった。

ちなみに、残業代請求に関しては、現在は消滅時効の期間が2年である。

しかし、今後、これが他の債権と同様に5年になった場合にはどうなるだろうか。請求額の大小だけで事件の流行が生じるわけではないが、もしかしたら残業代請求がじわじわ流行ってくる可能性はあるかもしれない。

 

まとめ

以上、雑な議論ではあるが、おそらく残業代バブルは当面発生しない。

発生するのだとすれば、請求額が大きくなるか、立証がとてもしやすくなるか、といった方向で何らかの変化があったときだろう。

過払いバブルをめぐる社会変化から教訓めいたものを読み取るとすれば、おかしいと思うことはおかしいと主張し続けることが在野法曹の一つの使命なのではないか、ということであった。当職も、業務の内外を通じて社会変化の動向を良く観察しながら、気が付いたことはきちんと指摘するよう心掛けたい。

 

 


  1. この点を考察したものとして、次のブログ記事がある。件数は高止まりしているが、バブルという程じゃないよねということのようである。http://keisaisaita.hatenablog.jp/entry/2017/09/20/200912 

残業代バブルは生じるのか?(1)

帯広では、地元の弁護士有志が労働基準監督署と連携して、個別労働紛争について弁護士への無料相談を案内してもらう枠組みを作っている。

ただ、今までのところ、その相談実績はなかなか少ない実情ではある。

何故なのか考えているのであるが、個別労働紛争に関しては、労働局ではあっせんの手続1も自前で持っているので 、そちらを勧めることもあるのかもしれない。

 

あっせん制度の良し悪し

以前、当地の労基署長のお話を聞く機会があったが、帯広の場合は過去3年間であっせんの申し立て件数は80件くらい、うち40件があっせんにより合意成立して解決している、といった話であった。

意外に成立率が高い。

ただ、具体的な解決例となると、労働者側の弁護士が聞いたら卒倒するような内容で終わっている例もあるようなのである2

要するに、あっせんが成立しているケースでは、金銭的解決の水準が非常に低いことがある。逆に言えば、異常な申立てでない限り、使用者側はあっせんで何とか解決した方が得なことも多いであろう。

もちろん、民事的な紛争を双方が合意して解決しているのだから私的自治でしょ、という考え方もありうるのだが、法を基準とした解決が図られているのかとなると、いささか疑問が残る。

 

司法的解決の課題

そうであるとしても、結構な割合であっせんが成立するのは何故か。やはり、労働事件に関しては、司法的解決は「うまい」のだけれども、圧倒的に「遅い」「高い」という問題に帰着する。

そうすると、「早い」「安い」に出来ないか、ということにはなる。

「早い」ということに関しては、労働審判制度が導入された。スピード感もあるし、金銭的解決の水準も悪くない。一連の司法制度改革のうちでも、数少ない成功例だと褒められるのも理解できる。

「安い」ということに関しては、弁護士費用の問題がある。これは、今のところ、弁護士が増えたから安くなったわけでもない雰囲気を感じている。

 

弁護士関与の問題点

近時の弁護士による労働事件への関与について、二つほど問題があると認識している。

一つ目は、成功報酬制が流行っていることである。

残業代請求などの労働事件で、成功報酬制の事務所も出現するようになった。この場合、弁護士側のリスクがあるので、トータルの弁護士費用は高めになりがちである。タダで依頼できれば頼みやすくはなるが、依頼者の手取りは減るかもしれない。ただ、これは最終的にはバランスの問題ではあるのだろう。

もちろん、使用者側から見た場合には、今までだったら顕在化しなかった事案が掘り起こされる、という問題がある。

二つ目は、労働事件が専門だとかうたっている割にはずいぶん「マズい」解決してるなあ、といった事務所も一部にはあることである。

それでも、残業代請求に特化しているとかガンガン広告を出して、盛況なこともあるようだ。もちろん、マズくていいから早く解決しろという依頼者もいるから、そのようなスタイルもありうるのだろう。市場のニーズというのはそういうものだ、という感想である。

 

この話題、もう少し広げて考えてみることにしたい。(つづく)

 

 


  1. 個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律に基づき、平成13年10月から導入された制度である。参考までに中央労働委員会の関連ページのリンクを掲げる。http://www.mhlw.go.jp/churoi/assen/index.html 

  2. 濱口桂一郎・高橋陽子「労働局あっせん、労働審判及び裁判上の和解における雇用紛争事案の比較分析」(労働政策研究報告書No.174、2015年)によると、金銭解決時の中央値は「あっせんは156,400円、労働審判は1,100,000円、和解は2,301,357円であり、後者ほど高額である」ということである。各手続の雰囲気が出ている数字のように思う。但し、この研究では残業代請求の事案は対象とされていない。http://www.jil.go.jp/institute/reports/2015/0174.html 

アディーレショック

優良誤認表示の広告の問題で、東京弁護士会は、弁護士法人アディーレ法律事務所に対して業務停止2月の懲戒処分を言い渡した。弁護士倫理を維持しながら事業の拡大を図るという方向に進んで行くことはできなかったのだろうかと、改めて残念に思っている。

既に、「何をしているんですか石丸さん」という記事にて、(東弁は)受け皿が揃わない懸念があっても二の足を踏んでいるような場合ではないと述べたように、そのようになること自体は仕方がないと思っていた。

ただ、実際に業務停止の効力が発生した結果、大変なことになっている模様なので、今回明らかになった問題点をまとめておくことにしたい。

 

弁護士会の懲戒手続に関する問題

今回の懲戒処分については、処分が重すぎるという意見と、混乱を防止できなかったのかという意見が見られる。

処分の軽重に関しては、具体的な被害がないから優良誤認表示を見逃して良いということではないし、以前の処分歴もあるので、必ずしも不当とはいえない。そして大き過ぎてつぶせないというのも本末転倒である。それこそ懲戒手続が馴れ合いだとかいわれてしまう。

ただ、懲戒手続上は、業務停止により迷惑を被る依頼者を救済するような仕組みが、制度的に整っていない。この点は難しい問題である。懲戒委員会が処分を議決するまで弁護士会の執行部は動きにくいということもあるし、一方で、処分発効までにタイムラグがあれば処分逃れの対策をされてしまうことが予想される。

これまでも、業務停止等により事件の引継ぎが必要になった場合には、受け皿を探して何とかしていたと思うが、今回は容易ではないし、今後も規模の大きい事務所に万が一のことがあった場合には同様の問題は起こる。対応策を考えるべきであるが難しい問題である。

 

懲戒された弁護士法人に関する問題

アディーレに関しては、特徴的な問題が二つあると懸念している。

一つ目は、事業構造の問題である。

いうまでもなく、テレビCMやチラシなどの広告に多額の資金を投入して積極的に集客し、大規模な全国展開を図りつつ事件処理は東京に集中させるというこの事務所のビジネスモデルは、法律事務所としては際立って特殊である。

ところが、業務停止中は広告が打てず、新規顧客を得ることができない。既存顧客についても辞任しなければならない。業務停止が明けてもレピュテーション低下による影響が大きい。

そうすると、「広告出稿で顧客誘引し獲得した報酬で更に広告出稿(以下繰り返し)」というサイクルが分断される。資金の流入は止まる一方、その間も費用が流出するから、どのような対処をするにしても事態は急を要すると見ている。

二つ目は、社員弁護士の無限責任の問題である。

アディーレは全国各地に支店を有していることから、必然的に多数の社員弁護士を有している1。これは、原則として弁護士法人の支店には社員を常駐させる必要があるためである2

そこで問題となるのは、弁護士法人の社員は法人の債務について無限責任を負うことである3

もちろん、そのような法人の社員になったのが悪い、弁護士なんだからリスクは知っていて当然だという議論もある。一応、そうだと思う。ただ、支店の名ばかり社員は、まだ前途がある人たちである。個人の責任を追及されるような事態は回避できないだろうかとも思う。

 

依頼者に関する問題

業務停止が2か月に及ぶ場合4、法人で受任していた事件は辞任しなければならなくなるので、従前の依頼者は一旦放り出されてしまう。

そんなところに頼んだ人が悪いんだから自己責任でしょう、それこそ司法制度改革の招いた帰結だよね、という考え方は当然ありうる。実際、当職もそのように思っていた。

ただ、よくよく考えてみると、依頼者の自己責任を問うには、きちんと判断できるための情報が依頼者に与えられてなければならないのではないか、という疑問が湧いてきた。

本件の発端となった優良誤認表示は、まさにこの点を損なう行為なのである。

そうすると、依頼者は別に悪いことをしているわけでもないのに、放り出されて不利益を被るのはおかしいということにもなる。

だから、着手金はもらわないで対応しますという有志の弁護士がいればとても善いことだと思う。一方、通常の事件と同じように着手金をもらって対応しますという弁護士がいるとしても、それは通常のお願いをしているに過ぎない。幸か不幸か、色々な弁護士が増えた時代でもあるから、そのあたりは、余裕があるか、熱意があるか、等々の各弁護士の事情で対応を決めればよいと思う5

なお、やり方によっては、ハゲタカだとかハイエナだとかといわれかねないので、一定の節度は必要だろうと感じている。

 

まとめ

最後に何がいいたいかといえば、題名のとおりである。色々な意味でショックである。

そして、このショックは次々と色々な形で波及すると予測せざるを得ない。なお懸念は尽きないように感じている。

 

 


  1. 弁護士法人の「社員」というのは、従業員のことではなく、業務執行権限を有する地位にある者のことである。これは株式会社でいえば株主兼代表取締役のような強力な地位である。ところが、アディーレの場合、支店に常駐している「社員」に業務執行権限があるのかどうか分からない。本来、弁護士法人の支店に社員の常駐を原則として義務づけているのは、支店所在地の弁護士会が、業務執行権限のある者を通じて弁護士法人へ円滑で実効的な指導監督を行うことができるようにするためであった。実際、名ばかり社員を通じてでは、本体の弁護士法人へのコントロールを及ぼせない。名ばかり社員が全国各地に配置されて支店展開がなされるといった事態は、弁護士法人の制度が想定していなかったことだと思われる。 

  2. 弁護士法30条の17本文 

  3. 弁護士法30条の15第1項 

  4. 業務停止の期間が1か月以内の場合とそれを超える場合とでは、その効果は異なる。顧問契約はいずれにしても解除しなければならないが、受任している法律事件に関しては、「業務停止の期間が1か月以内であって依頼者が委任契約の継続を求める場合」は、委任契約を解除しなくてもよい(「弁護士法人の業務停止期間中における業務規制等について弁護士会及び日本弁護士連合会の採るべき措置に関する基準」〔PDF〕の第2の1項1号で準用する「被懲戒弁護士の業務停止期間中における業務規制等について弁護士会及び日本弁護士連合会の採るべき措置に関する基準」〔PDF〕の第2の1号)。このため、業務停止の期間が1か月を超えた場合には、法律事務所の存亡に関わる事態であるということはいえる。 

  5. 本件では、懲戒された弁護士法人に所属する弁護士個人に委任することも選択できるとの案内が依頼者になされているようである。確かに、前述の日弁連の基準では、所属する弁護士が委任を求める働きかけをしないことが条件ではあるが、依頼者の求めがあれば、そのような扱いも可能である。そして、弁護士個人は自己の業務を行う必要に基づいて、業務停止中の弁護士法人の事務所を使うことができるようにも前述の基準は読める。ただ、そのような解釈ができるとしても、引継の態様によっては処分逃れをしているのではないかという疑問も出て来るようには思う。 

平成29年司法試験の結果について

今年の司法試験の結果の発表が、平成29年9月12日にあった。

そこで、昨年までのデータに継ぎ足して今年もグラフを作ることにして、若干の感想を述べてみることとしたい。

 

受験者数と合格者数

受験者数は昨年より932人も減少した。

今年は、総合評価の対象者が過去3番目に少ない3594人であった。択一試験と論文試験各科目の25%点で足切りされた人が多かったということで、不得意な分野を作らない勉強が大事だということではあるのだろう(月並みな感想ですみません)。

そして、合格者数は40人の減少となった。合格者1500人台というのは、各方面から叩かれにくい数字という消極的な意味があるのだろう。何人になっても文句をいう人は必ずいるわけだが、そのうちもっともマシなところということである。

 

合格率

対受験者での合格率は25.86%となり、昨年より上昇した。とはいえ、ほぼ4人に3人は落ちるのでそう簡単な試験ではない。

ただ、合格者数が大きく変わっていないので、合格率が上昇したのは単純に受験者が減ったからだというような読み取り方にならざるを得ないようにも思われる。

 

法曹人気の復活なるか?

さて、合格率の上昇は、法科大学院への入学者数の回復に結びついたり、法曹人気の復活につながるだろうか。

法科大学院への入学者数は年々減り続けていたから、司法試験の受験者数もそれに対応して今後も減り続ける。そうすると、資格試験の水準を維持する観点から、合格者数の水準をそのままにしていて良いのかという議論は出て来ると思う。

そうなってくると、どうにも先行きが読みにくい雰囲気である。そこで、結局、法曹になった場合の経済的なメリットが強く見込める環境にならない限り、資格取得のコストが高い法曹への人気は復活しないだろう。

え、大成功している弁護士もいる?それはごく一部であって、そんなに確実ではない。法曹志願者を増やすために弁護士の魅力をアピールしろとどこかから聞こえてくるが、不用意にいいとこ取りして悪徳商法の勧誘みたいになってはいけない。

 

まとめ

現職の弁護士たちからすれば、過当競争は避けたいので合格者をもっと減らせ、という議論はある。その点をどう評価すべきか、色々考えているが相変わらず難しい問題である。

とはいえ、司法試験の合格者数に極端な変動がない限り、当面は弁護士人口が減ることもない。従って、それがまともな競争になるのかおかしな競争になるのかは知らないが、競争環境は緩和されないということである。

当職としては、法曹人口の多寡にかかわらず生き残るための工夫に励むしかないようである。弁護士業界も人材が増えた分だけ多様になり、特に、若い世代は社会の変化に良く対応しているようにも見えるから、そういう動向を柔軟に見習う必要も強まっているようには思う。

 

 

クレサラ問題リターンズ

過去には、クレサラ問題で大変な時代もあったわけで、昔の記事でも次のように書いたことがあった1

貸金業法の改正は社会に劇的な変化をもたらしました。これは、大変な苦労をしながら消費者問題に取り組んできた弁護士たちの活動の大きな成果であると評価して良いと思います。弁護士が束になって本気で頑張ると世の中が変わることもある、ということをこの件では実感しています。

 

自己破産件数が増加に転じる

ところがどっこい、である。

今年の4月3日に、朝日新聞が次のように報じていた2

個人による自己破産の申立件数が昨年、13年ぶりに前年を上回った。多重債務問題で消費者金融への規制が強化されて減少が続いていたが、最近は規制対象外の銀行カードローンが急増。自己破産増加の背景にはこうしたローンの拡大があるとの指摘が出ている 。

 

金融庁の動き

社会の変化は本当に素早いものである。

さらに、8月24日の北海道新聞でも、次のように報じていた3

金融庁が、過剰な貸し付けが問題となっている銀行カードローンに関し、9月にも特別調査を実施する方針であることが23日分かった。全国銀行協会(全銀協)は3月に自主規制策をまとめたが融資残高は増え続け、国会や法曹界から多重債務者の増加を助長していると批判が出ている。金融庁は大手銀行を中心に適切に融資されているか調べ、実態を把握する。

さすがに、金融庁も黙ってられなくなったということなのだろうか。

銀行のカードローンは、銀行は看板とカネを出しているだけで、面倒なことは保証委託先の消費者金融に丸投げしている感もある。

そこで、テキトーな融資をしている事案もぽろぽろ出て来るような気がする。しっかり調査をしてほしいと思っている。

 

総量規制の成果

債務整理の実情はどうなっただろうか。

総量規制の成果として、過剰な借り入れをしている人は減ったのは実感する。昔は6社合計300万の借り入れをしていた、といった人が少なくなかった。

今では、そのような事案はあまり見かけない。個人の債務整理の案件でも、負債総額が100万前後に落ち着いているケースの方が多い印象である。

負債総額が100万円であっても、数社から借りて平均が年利18%だとすれば、月あたり1万5000円の金利の負担である。これ以外に元本も返さなければならないのだから、そう簡単なことではない。負債総額が圧縮されているとしても、支払が難しくなれば仕方がないから、債務整理をすることになる。

 

低賃金の影響

一方で、このような借り入れをしている人の給料が最低賃金付近に張り付いていることは、割と普通に見かける(=月20万円も行かない)。

人間、生きていれば何かとお金は掛かるのであり、切りつめるにも限界がある。

債務整理の方針を決める上で、近時、しばしばネックとなるのは、基本給が低いということのみならず、給料が上がる見込みはないとか、ボーナスは元々ないとかいった事情である。つまり、低賃金ぶりが著しいのである。

そうすると、負債総額が圧縮されている傾向にあったところで、自己破産を選択せざるを得ない。

 

浮かんでくる構図

ということで、私から見える構図は、

銀行
カネ余る→企業の貸出先ない→消費者に高金利で貸付→保証委託先から回収

消費者
賃金増えない→借金に依存→経済的破綻

というものである。これは一歩間違ったら革命前夜みたいな状態じゃないのか、という気がしている。冗談ではない。

もちろん、円安とか株高のメリットを享受できる向きには今の経済情勢は良好に見えるのであろう。それはそれで、大変結構なことだと思う。

しかし、残念ながら当職にはそのような世界は視界に入ってこない。むしろ、個人的には、今の経済政策ヤバくないかと感じている。お前の偏見に過ぎないとの批判はありうるだろうが、そのような実感である。

 

まとめ

今の私が出来るとすれば、相談に来たお客さんに、債務整理の手ほどきをしてお金の問題の悩みを和らげるくらいのことしかない。

お金の悩みを全面的に解決します!とまでは言いにくいのは、弁護士が債務整理をすることで債務をカットできても、お客さんが収入を増やす途を示すことまではできないからである。

仮に、生まれ変わることが出来るのであれば、貧困を撲滅する経済理論を開発するために身を捧げられないだろうかという思いつきが出てくるくらいには、いささか悔しい思いを持っている。

 

 


  1. 「行政活動とのかかわり(4)貸金業関係連絡会」/http://iwata-lawoffice.com/wordpress/wp/?p=2187 

  2. http://www.asahi.com/articles/DA3S12874177.html 

  3. https://www.hokkaido-np.co.jp/article/127475 

弁護士に 死ねというのか 法テラス(国選弁護報酬算定における具体的問題点の考察)

今日もがんばって釧路の裁判所に行くぞ!!

裁判員事件が釧路で行われる場合、概ね、9時半ころに開廷し、17時ころに終了する、というスケジュールで、連日開廷される。

ところで、開廷が9時半の場合、帯広から始発の汽車に乗っても間に合わない1

9時半開始の期日に出ようとすれば、朝早くから2時間強を掛けて、120キロメートル余りの道程を自動車で行かなければならない2

 

いわゆるクソテラスメソッドの発動

そこで、連日9時半から開廷しているときは、釧路以外のところから来た弁護人は、釧路に泊まるのが普通である。

しかし、法テラスは「一般国民の目からみても、宿泊することが真にやむを得なかったと認められる場合」に宿泊料を出す、という基準を持ち出してくる。平たくいえば、午前6時以降に出発すれば間に合う場合や、日付が変わる前に帰り着く場合には、宿泊料を出さない。

これによると、帯広の弁護人は、朝6時に家を出れば間に合うし、日付の変わる前には帰れるから、宿泊料は出ないことになるらしい。

つまり、帯広・釧路間を、自分で車を運転して連日往復しろ、というのである3

死ねというのか。

これは、二つの点で不正義であると思う。

 

不合理な待遇差

一つは、裁判員や検察官は、泊まっているからである4。にもかかわらず、税金を無駄にできないから弁護人は自腹を切れ、と法テラスはいう。

なぜ、弁護人だけが、違う取扱いに甘んじなければならないのであろうか。

等しきものは等しく扱え、というべきである。

裁判員に対しても、朝6時に出てその日のうちに帰れる人の宿泊料は出ないので、毎日釧路まで車で往復してください、とのご案内でもしているのであろうか。

まさかそんなことはないと思う5

 

タダ乗り

もう一つは、なぜ、弁護人は他人のための活動をしているのに、自腹を切らねばならないのかということである。

そもそも、裁判員事件が始まったために、帯広の弁護人は、裁判のためにわざわざ釧路に行かなければならなくなった。新たな負担を強いておきながら、国民のための制度だから我慢しろというのか。

しかし、どんなに裁判員制度が国民のためによい制度であったとしても、その実現のために、特定の人間に特別な犠牲を強いるのは誤っている。

それは、単なるタダ乗りである。

釧路での宿泊料は比較的高くないが、それでも、連泊すれば万単位の出費にはなる。これは実費である。本来は、弁護人が負担する謂われはない。

何も、弁護料を上げろというのではない。せめて実費くらいは出してくれないだろうか。

 

いつまでも 法の光は 差し込まぬ

このような扱いだと聞いて、さすがに、法テラスの事業に協力する気が失せてしまった6

もちろん、法テラスを使わないと、弁護士の助力を得られないというお客さんは、いる。そういう人からお願いを受けてどうにかしなければならない、という場合には多少悩むと思うが、法テラスの側からあれやれこれやれと言われるのは、もうイヤだ、というしかない。

力及ばず、無念である。

 

まとめ

法テラスが大変勿体ないことをしているなあ、と思うのは、せっかく多士済々な弁護士各位の協力を辛うじて得られているのに、その能力を生かす努力をしていないことに尽きる。

むしろ、やる気を殺ぐようなことばっかりやっている7

弁護士のやる気を損なわない頼み方をしてくれるのであれば、これほどまでに不満の矛先を向けられるようなこともなかったと思うので、誠に残念である。

 

 


  1. 平成29年4月1日現在、帯広からの始発は、帯広発9時26分→釧路着11時00分の特急スーパーおおぞら1号である。注意すべきことに、この路線の列車は遅延することも少なくない。実際に、当職も判決言渡の開始に間に合わなかった経験がある。 

  2. 当たり前であるが、自動車の運転をできることは、弁護人となるための要件ではない。そこで、自動車で移動できない弁護人が帯広で選任された場合、釧路で連日開廷される期日に往復できないという問題がある。 

  3. 当会の支部所在地から釧路へは、運転手付きで移動する人や、日帰りする人も、いないわけではない。しかし、前者は例外的であるし、後者は連日往復するとなれば相当な無理があり、訴訟活動への集中力が削られるであろう。少なくとも、連日裁判員事件に出廷し、法廷の準備もしながら、毎日片道120キロメートルの道程を自分の車を運転して往復する生活を1週間続けたら、当職は過労死すると思う。 

  4. 例えば、以前の釧路地検の検事正が書いた文章を見ると、「平成23年2月初旬までに行われた合計4件の裁判員裁判において,選任された裁判員34人(補充裁判員を含む)のうち,審理期間中釧路に宿泊した裁判員は20人にのぼる。」とある。http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/kushiro/page1000057.html 

  5. もちろん、そんな扱いをすれば、釧路周辺以外の裁判員候補者が呼び出しを拒絶する事態となるのは容易に想定されるから、できないと思う。なお、付言すると、法テラスは、国が設立した組織であるし、国選報酬算定を担当する国選弁護課長は、裁判所からの出向者が務めている。 

  6. 釧路の地方事務所は、当地の実情を承知していたから、どうか帯広の弁護人には宿泊費出してやってくれ、と強力に押していたようである。唯一の救いである。問題は、せいぜいグーグルマップみたいなもので経路検索する程度で実情も知らずに費用の算定を行い、弁護人から宿泊費を必要とする事情をいちいち主張して異議を出さない限り宿泊費を出さず(なお、異議を申し立てて必要性を主張すれば出るようである。)、当初の算定には誤りがなかったなどと強弁する法テラスの総本山である。 

  7. 例えば、普通に考えて必要な費用であっても、異議が出るまで無視を決め込むという姿勢はどうにかならないものか、とでも言おうと思ったが、もはやどうにもならないのだろう。費用の不払いをする者からの頼みごとを忌避するのは、一般国民の目から見ても、普通の態度である。何も、法テラスが憎いから特別に厳しいことを主張しているわけではない。 

日弁連総会の投票方法に関するメモ

日本弁護士連合会の総会は、予算や会則を議決する権限を有する重要な機関である(日本弁護士連合会会則34条)。

ただ、そもそも出席しない会員が圧倒的多数であるし、委任状だけ出して出席しない会員も多数であることから、どのような手続により議事を行うのか会員に知られていないようにも感じられる。

たまたま、当職は、続けて臨時総会に出席する機会を得たので、総会での投票の方法について覚えている範囲で記録を残しておくことにしたい。

 

総会の委任状

一般的には、次のような記載のある全部一任の委任状を、空白部分(受任者及び受任者の登録番号)を白紙のまま出すよう暗黙の命令みたいなものお願いがあることが多いであろう。

代理人選任届

私は     会員(○○弁護士会所属:登録番号     )を代理人として選任し○○○○年○月○日開催の日本弁護士連合会定期or臨時総会の各議案につき議決権を行使する権限を授与するとともに、同総会における議長及び副議長の選任、動議、議案の修正並びに原議案と関係する事項に関する議案についての各賛否その他一切の議決権の行使は代理人に一任しましたのでお届けします。

事前配布される総会の議案書には、全部一任する委任状の書式しか添付されていない。ただ、その形式でなければダメということではなく、次のように、個別の議案への賛否を表明できる書式も通用している。

なお、私の各議案についての賛否は、下記(○印)のとおりです。

議案?賛否 賛成 反対 賛否一任
第1号議案 預り金規程の一部改正
第2号議案 依頼者見舞金制度

賛否がバラバラな複数の委任状を預かっていても大丈夫で、総会に出席した代理人は議決権を分散行使することができる扱いとされている。

当会でも、昨年までは全部一任の委任状により案内していたので、議決権が分散行使できることを知らなかった会員もいたようである。実際、ある大ベテランから「あれは何で全部一任しなきゃならんのか疑問に思っていた」と言われたことがあった。

 

総会での投票方法

総会に行くと、受付で日弁連の人に行使する票数の確認をされる。

全部一任の委任状を預かっている人は、委任状の通数が書かれたカードを渡される。

個別の議案に対する賛否を明らかにする形式の委任状を預かっている人は、最初に審議される議案について、賛成及び反対の各票数の書かれたカードをそれぞれ渡される。議案が複数ある場合には、預かっている賛成と反対の各票数が議案によって変動することもあるが、その場合、各議案の投票前に会場から出て票数の書かれたカードを日弁連の人に書き直してもらう手続を行う(やや面倒)。

なお、単位弁護士会の会長の持っているカードは「会長」と記入される。

これらのカードを持って会場に入る。投票時には議場が閉鎖され、それぞれ次の順番でカードを持って手を挙げる。

  1. 賛成する出席者の票
    日弁連の人は上がった手の数を数える。
  2. 賛成する代理の票
    日弁連の人は上がったカードに記入されている数を数えて合計する。
  3. 賛成する弁護士会の票
    日弁連の人は「会長」と書かれたカードを上げている手の数を数える。
  4. 反対する出席者の票
    以下、1から3で述べた手順と同じである。
  5. 反対する代理の票
  6. 反対する弁護士会の票
  7. 棄権する出席者の票
  8. 棄権する代理の票
  9. 棄権する弁護士会の票

以上が精密採決を行う場合の手順である。

もめていない議案は、精密採決せずに賛成多数を議長が認めることもある。

議決権を分散行使する場合は、反対、賛成、棄権の各票の投票機会の都度、各票数のカードを持って手を上げて投票することになるので、上げたり下げたりと忙しくなる。

(以上、間違いがあればご指摘いただきたい。)

 

問題点その1

個別の議案について賛否を明らかにする形式の委任状による投票が一般的になればいいのではないかと思っていたが、問題はそれでは済まないようである。

委任状による投票がメインである限り、委任状提出の有無や、その投票内容は他の人に分かってしまう。すなわち、投票の秘密が保障されないという問題がある。結局、自由に投票したくても、ボスの命令だとか派閥のしがらみなどから逃れられないことが多いだろう。

当職はそのような問題の存在に気が付けなかったので、遺憾であった。

それで、もはや技術的にも難しくないので、電子投票を実施しろとかという意見も聞こえてくる。今後の課題であろう。

 

問題点その2

なお、電子投票などの導入で投票率が上がったところで、変化は起きないであろうという意見も聞かれる。

沈黙している者が最大多数であることには変わりないだろうから、ある程度はそうだと思う。総本山に噛み付いて盛り上がっているのは、一部の変わった人であろう。

しかし、委任状集約の原動力と思われる、大規模会における派閥の求心力が今もなお維持されているかどうかは、真面目に考察すべき問題である。バラバラになった若手が糾合するきっかけがひとたび生じれば、どこかで雪崩が起きる可能性はある。

そういう可能性も見据えて、宥和的に連合会の運営をしていってほしいと願うのだが、大丈夫だろうか。

誰が船長になっても、大きな船を立て直すことは難しい。舵取りを間違えて本当に沈没しないか、大変不安である。

 

日弁連臨時総会を終えて

臨時総会の結果

平成29年3月3日、日弁連の臨時総会がありましたので、弁護士会館に行ってきました。

結論からいえば、提出された議案(預かり金口座規制・依頼者見舞金・少年、刑事の特別会費減額・法律援助基金の特別会費減額・会長選挙・処置請求・総会定足数)は、全部可決されて終わりました。

精密採決を行った議案についての票数は次のとおりでした。賛成票が圧倒しているようにも見えるのですが、出席者数で言えば全自然人会員1の数の3分の1を下回っていますし、反対する単位弁護士会2の数も少なくありません。

  1. 第2号議案(依頼者見舞金)
    賛成9848・反対2679・棄権88
    このうち弁護士会の票は、賛成37・反対14・棄権1
  2. 第8号議案(総会定足数)
    賛成9814・反対2179・棄権37。
    このうち弁護士会の票は、賛成34・反対16・棄権2

 

委任状騒動

さて、今回は大変な騒動が勃発しました。

総会に関する情報収集に鋭意努めていた当職は、開会後間もなく、「委任状が少なくとも3通変造されている」という爆弾が投下された状況をキャッチしました。

なるほど、確かにフェイスブックに上がってきた写真を見ると、委任状上の受任者の表示が東弁会長の印で訂正されて書き換えられています。しかも、書換後の受任者の名前は東弁の前会長です。

単位会の会長は委任状の認証はしますが、既に記載されている受任者を変更する権限はないはずです。そこで、1号・2号議案を審議している最中に、問題があるから委任状を調査しろだとか、総会を無効にしろとかという意見(動議?)が出てきました。

ただ、これらの意見については、議長は取り合わず、何事もないように最後まで手続が進行しました。

 

雑感

委任状の変造騒動については、全部一任の委任状の扱いが従前から適当だったのではないか、という気がしています。

どのような原因であるかどうかに関係なく、人の代理を仕事としてやっている弁護士が委任状絡みのトラブルを発生させるとかまあ本当にお粗末なことをしでかしてくれたなあ、というのが率直な感想です。

全体として、委任状騒動の件も含めて、緊張感を欠いた総会でした。委任状の数で既に結論は決まっているからでしょう。妙なところで笑いが出たり、参加していた一人としては気持ち悪かったです。

「9時何分の新幹線で大阪に帰れないから議事を進めろ」という趣旨の意見を述べた人もいましたが、重大な議論をしているのに、大阪の人帰られへんとか言うてる場合か3、と思って一人でカチンと来てました。

議案は全部通りましたが、この先の連合会の運営が思いやられる結果であったと思います。僭越ながら、大変心配です。

 

 


  1. 平成29年2月1日現在、39010名である。 

  2. 北海道に4、東京に3、その他府県に各1の、総数52会である。 

  3. その程度の覚悟で総会に出て来るなと言いたい。なお、加古川の人を含む新大阪以遠姫路までの人は、東京駅を21時23分までに出発すれば帰ることが可能である。