渡良瀬川の河童

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渡良瀬遊水池

先日、天皇と皇后が、私的な旅行ということで渡良瀬遊水池をご訪問されたと報じられていました。

私は、その地名を聞いて、渡良瀬川には河童がいる、という話を久々に思い出しました。

河童は伝説上の妖怪なのかもしれないのですが、驚くべきことに、私の祖父は「河童は実際に存在する。俺は小さいころに渡良瀬川のほとりで見た。」と、一貫して明瞭な河童の目撃供述を繰り返していました。祖父は冗談を言うような人ではありませんでしたから、私としても河童は実在するのだと思っていたのでした。

ところで、私の祖父は茨城県の古河というところの出身で、大正3年(1914年)に生まれました。

古河は渡良瀬川に面した歴史の古い街ですが、かつて、渡良瀬川に面して古河の隣に谷中村という村がありました。この跡が、今の渡良瀬遊水池となってしまったところです。

明治10年(1877年)、古河市兵衛が足尾銅山での銅精錬を操業して以降、渡良瀬川の流域では鉱毒被害が発生し、住民は苦しめられることになります。谷中村もその例に漏れず大きな被害を受けます。

谷中村は抵抗運動が激しかったこともあってか、明治40年(1907年)には強制的に破壊されて住民は立ち退かされてしまいました。しかし、なお一部の住民は残留して抵抗を続け、田中正造翁も共に残留して鉱毒被害者の救済のために奔走することになります。

最終的に旧谷中村から住民がいなくなったのは大正6年(1917年)のことでした。

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旧谷中村跡地

渡良瀬川のほとりで小さいころの祖父が河童を見たとすると、場所的に古河に隣接する旧谷中村のあたりだったかもしれず、時期的にも旧谷中村が無人と化してそれほど経っていないころです。

そうすると、河童の正体は鉱毒被害者の怨念が化けて現れたものではなかったのか、とも思うのです。

あるいは、旧谷中村の付近が長らく紛争地であったため、河童が出るから近づくなと大人に言われて刷り込まれてしまったのかもしれません。

いずれにしても、祖父がリアルに河童の存在を証言していたことは、今も気になることではあります。

旧谷中村は、日本の公害問題の原点ともいうべき地です。

100年以上前から、公害問題により土地を奪われ、生活を破壊され、それに声を上げようとすれば徹底的に弾圧されるという歴史が存在していたということを、我々は忘れてはなりません。

しかし、そのような構図が今も変わっていないことは、原発事故とその後の対応を見る限り明らかなようにも思います。またどこかで河童は現れるかもしれません。

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