働き方を考える(1)どこで働くのか

このところ、働き方改革というスローガンが良く聞こえてくるようになってきた。

実は、あえて改革なんていわなくても、働く人を大事にしようとしていれば自ずと効果があるような気がしているが、いかに働くべきかということは昔から関心を持っていたテーマである。

そういうわけで、思うところを書いてみることにした。

これまで、働き方について考える契機となった出来事はいくつもあるが、中には独特な見方もあるかもしれない。少々、詳しく述べることにしたい。

過酷な首都圏の交通事情

私は埼玉のとある田舎町で育った。池袋から東武東上線に1時間くらい乗って、そこからさらに何キロか先の山の中みたいな所に住んでいた。

高校から都内の学校に通うことになった。昔は副都心線の直通運転もなかったから、自転車乗って、東上線乗って、山手線乗って、東横線乗って、さらに歩いて、6時に家を出て8時半の始業のちょっと前に滑り込むように通学していた。

何しろ、ラッシュ時の東上線の急行列車なんかに乗ると、遠くまで行き帰りしなきゃならないからなのか、みんな目が死んでいるように見えた。

高校を卒業するまで何とか持ちこたえたが、東京を中心にする生活をするのはもう一生御免だなあ、と思ったのだった。もちろん、しっかり稼いで便利な場所に住めればそんな悩みも無縁だろうが、そんなに容易ではない。

ボウガン襲撃事件の衝撃

そんな次第で上洛して羽を伸ばしていた90年代の末、司法試験に受からないのを逆恨みしたベテラン受験生が、法務官僚の自宅にボウガンを打ち込むという衝撃的な事件が起きた。

この事件、何に驚いたかといえば、事件現場が埼玉県の川越市だったことである。

法務検察の大幹部でも、川越あたりの自宅から霞ヶ関まで通っているとなったら結構な通勤時間を食われるじゃないか、ということに驚いたのだ。

首都圏の住宅事情では、役所の大幹部ですら通勤しやすい場所に住めるわけでもないんだなあ、と思ったのだった(但し単なる誤解かもしれない)。

進路選択への影響

さて、そういうわけで、首都圏の生活環境は最悪であると感じていたし、それを個人の能力で克服するのは極めて困難だと考えていた。

それで、私にとって、どこでどう働くかというのは働く前から結構重要な問題だった。なお、ある先輩からは「お前は寝ないとダメだから渉外(事務所)に行ったら死ぬ」と面と向かって言われたことがあった。そういったことも含めて、働き方というものを考えた方が良いのかもしれない、とは思っていた。

(つづく)

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