宇和島城は天守閣が現存する12の城の一つです。
そんなに大きな天守閣ではないのですが、昔のものが残っているという点で見るべき価値は十分にあります。
何でまた仙台から遠く離れたこの地へ来たのかという気もするのですが、伊達政宗の子が入って以来、宇和島藩は伊達家が代々治めていました。城下にある伊達博物館に行ってみると、そのあたりの経緯を確認することができます。
宇和島の裁判所
宇和島の裁判所に行ってみました。
伊達博物館の玄関ホールに描かれている昔の地図では、かつての裁判所は城の近所に存在していたことが分かります。ただ、現在の裁判所は移転しており、宇和島駅に隣接して存在しています。
駅から近いのはいいんですが、そもそも宇和島駅は行き止まりで四国の鉄道網の一端をなしていますから、松山からでも行くのは結構大変そうです。
銅像になった人
さて、宇和島城に戻ってみると、城下には著名な人の銅像が存在しています。
これは、護法の人とも呼ばれた児島惟謙です。
大津事件での活躍が良く知られていますが、それ以外にも関西大学の設立に貢献するという大きな功績を残しています。その縁で関西大学にも銅像があると聞いたことがあります(残念ながら見たことはないのですが)。
橋になった人
次は、銅像にならなかった人の話です。
「老生は銅像にて仰かるるより萬人の渡らるる橋になりたし」とあります。
民法起草者の一人である穂積陳重が語ったとされています。それで、功績を称えるべく、穂積橋という名前の橋が宇和島市内には架けられています。
銅像なんかになるよりも人に踏まれる方がよいというのですから、やはり、昔の偉大な法学者は考えることが普通ではありませんね。当職も、人々に踏まれ続けてもなお輝き続ける阪急梅田駅のホームの床のような存在でありたいと願っています。
鯛めし
営業時間の都合で行けなかったのですが、橋の右手に映っているお店はこの地方の名物である「鯛めし」の名店として知られているようです。
宇和島の鯛めしは、鯛の刺身が乗った飯の上から出汁を掛けて食べるというスタイルであり、するすると食べられてしまうので大変危険です(美味しい)。
まとめ
以上、宇和島は、お城の天守閣を見に行くだけでも十分に価値があるのですが、法律家には馴染みの深い先人たちの痕跡も残っていますので、法学マニアな向きには実に興味深い地であるということを思いました。