徴兵制を考える

安全保障法案の議論に関係して、自衛隊員の募集に支障をきたすようなことになれば徴兵制が導入されるんじゃないかといった話題を聞くことがあるのですが、これまでの政府見解としては徴兵制は憲法上許容されない、ということにはなっています。

ところで、徴兵制導入の可能性に言及する論者は存在します。例えば、井上達夫教授は9条削除論とセットで徴兵制についても考察を加えています。

自衛のためとはいえ戦力を保有し行使することを承認した国においては、自衛戦争に伴う犠牲を社会の周辺的少数者に集中転嫁せず、国民のだれもが平等にこれを負うことは、無責任な好戦感情の暴走を抑止するために必要であるだけでなく、自衛戦力行使の犠牲とコストを他者に転嫁して、自らは自衛戦力がもたらす安全保障上の便益だけを享受するというフリーライディングを排除する公平性の要請でもある。1

このような理由により、井上教授はもし戦力を保有するのであれば徴兵制によるべきだと主張します。ただ、その場合も「法律により徴兵制を定めた場合の兵役」を、憲法18条で禁止される「意に反する苦役」の例外に加える憲法改正が必要とはしています。2

立憲主義と徴兵制

一方、長谷部恭男教授は次のような理由で徴兵制には否定的な見解を採ります。

リベラルな立憲主義にもとづく国家は、市民に生きる意味を与えない。それは、「善き徳にかなう生」がいかなるものかを教えない。われわれ一人ひとりが、自分の生の意味を自ら見出すものと想定されている。そうである以上、この種の国家が外敵と戦って死ぬよう、市民を強制することは困難であろう。以上の議論が正しいとすれば、立憲主義国家にとって最大限可能な軍備の整備は、せいぜい傭兵と志願兵に頼ることとなる。3

徴兵制については、憲法18条ないしは憲法9条を根拠として否定することが考えられますが、この議論の仕方からは、条文上の根拠としては憲法13条の幸福追求権に主に拠っているように読めます。

徴兵制では高度化した装備や戦術に対応できないとか、兵役逃れを絶対的に防止することは制度的に難しいとかという実際の困難もありますが、そんなことよりも根底的な理由で徴兵制は許されないということです。

徴兵制の根拠について

さて、井上教授の考え方をまとめると、次のような理由であろうと理解されます。

  1. 無差別公平で兵役逃れを許さない徴兵制を採用することで、安全保障の政策を通常の民主制の過程による判断に委ねても、無責任な好戦衝動の暴走を抑制することができる。
  2. 志願兵となることの多い雇用機会の少ない貧困層や被差別集団の者に自衛戦力行使の犠牲とコストを転嫁し、中流以上の社会層が自衛戦力保有の利益を享受するのは、許されないただ乗りである。

こうしてみると、国民全員が公平にリスクを負い、冷静な判断も期待でき、一部の人々のただ乗りを許さない、ということで制度的な利点があるようにも見えてきます。

徴兵制による戦争の抑止

上記の理由1.について考えてみると、自分あるいは自分の親族が戦場に行かされるリスクが現実になると考えれば戦争への判断の暴走を抑えられるという側面はあるのかもしれません。長谷部教授もその点は認めています4

しかし、国民の大多数を戦闘員とするような異常な国ではない限り、徴兵された者は社会的には少数派の立場に置かれます。冷酷な見方ですが、いざとなったら運良く徴兵を免れた多数派の横暴で無茶な戦争に行かされる危険が生ずることにそう変わりはないように見えます。ですから、徴兵制を以て無責任な好戦衝動の暴走を防ぐ決定的な方法だとは必ずしもいえないでしょう(では決定的な方法があるのか、といえばこれはまた難問ですが。)。

なお、井上教授はベトナム戦争の初期には志願兵制だったので反戦運動が高まらなかったという趣旨の指摘をしていたのですが5、これは記憶違いであったと後で訂正しておられます6。そうすると、徴兵制でも歯止めが効かない場合もあったことを示しているようにも思われます。

安全保障の利益とただ乗り

もっとも、徴兵制によらず戦力を保持する決断をするならば、上記の理由2.の貧困層の人々などが志願兵にならざるを得なくなるという、いわゆる経済的徴兵制といわれるような問題は検討すべき課題です。国民全てを豊かにできるならともかく、現実的には自衛隊員の処遇の問題を考えるべきということにはなるでしょう。

自衛隊員の生命身体には活動に伴う危険が生じますが、それだけではなく、自衛隊員は、一般国民には保障される基本的人権、具体的には居住移転の自由、政治的活動の自由、及び労働基本権などがいずれも制限されています(自衛隊法55条、61条、108条)。

自衛隊員が身を賭して戦うべき場面はあるかもしれません。しかし、個々の自衛隊員にも、あえて侵略を招くような政策は採るな、あるいは、日本国民を守るのとは無関係に出動させられるのは勘弁しろ、と主張する権利も自らの利害に関わる以上は本来的にあるはずです。ただ、仮に、そのような意見が存在しても表には出ません。政治的活動は許されませんし、隊内でそんなことを主張したら意欲を疑われて待遇に影響することも予期されることです。

そうであれば、自衛戦力を保有するという判断を続ける限り、それによって利益を受ける一般国民の側から、ただ乗りにはならないよう積極的な配慮をすることが求められそうです。それは、自衛隊員の経済的な待遇改善にとどまるものではなく、自衛隊員の生命身体への危険や自由への制約を最小化する最適解となるような国内外の政策を実現するよう努力し続けることに尽きます(もちろん、究極的な理想はそのような負担を被る人が存在しない世界の実現ですが、これもまた難問です。)。

おわりに

以上、徴兵制について考えると共に、志願兵制についても課題を考えました。現状は、必要最小限度の実力部隊を維持するためにやむなく志願兵制を採用しているということになるのでしょうが、自衛隊員は無闇な危険を引き受けて志願するのではありません。

私の住む帯広市も旅団を擁する自衛隊の街でもあり、実際に個々の自衛隊員が公私にわたって大変な環境に置かれていることに接する機会も、多いです。近時、札幌では佐藤博文弁護士が中心となって自衛隊員やその家族からの電話相談を受けていたと聞いたのですが、このような取り組みも自衛隊員の人権擁護という観点から大変注目しています。

おまえが享受している平和な環境はただ乗りによるものではないのか、との問い掛けにどう応えるべきか、私自身も弁護士としての活動を通じて考える必要があるのだろうと感じている次第です。


  1. 井上達夫「九条問題再説」竹下賢ほか編『法の理論33』18頁(2015、成文堂) 

  2. 井上達夫・前掲31頁 

  3. 長谷部恭男『憲法と平和を考える』158頁(2006、筑摩書房) 

  4. 長谷部恭男・前掲159頁 

  5. 井上達夫・前掲17頁、同『世界正義論』327頁(2012、筑摩書房)、同『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』60頁(2015、毎日新聞出版) 

  6. 緊急提言 憲法から9条を削除せよ – 井上達夫(東京大学大学院法学政治学研究科教授) 

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